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北へ。その1―そこに、海がある [大地震、それからの日々]

7月9日~15日、宮城県気仙沼市にある唐桑半島でのボランティア活動に参加してきました。

お世話になったのは、RQ市民災害救援センター唐桑ボランティアセンター(唐桑VC)。
巨釜(おおがま)にある「海岸亭」というドライブインを、オーナーさんのご好意で貸していただき、拠点としています。

限定だけどオープン中。みんな来てね!.jpg

実は、6年前に東北を旅したとき、ここにも立ち寄っていたのです。
(朝早かったので、お店は閉まっていましたが・・・)
海岸亭に到着した時には、ここだったのか!と思いました。

海岸亭は、現在プレオープン中です。近くまで行く方はぜひお立ち寄りくださいね。


さて、唐桑VCでの1日はこんな感じです。

06:00 起床(もっと早く起きる人も多いです)。朝食をとり、昼食用のおにぎりを各自で作ります。
07:15 ミーティング。その日の作業確認、注意事項の共有など。終了後は道具の積み込みなどの準備。
08:30にはそれぞれの現場へ出発します。

昼食は12:00前後にとります。

15:00~16:00頃には作業終了。
道具は汚れていれば洗い、片付けた後、お風呂に行ったり夕食をとったりします。
19:15 ミーティング。その日の作業報告と翌日の作業内容の確認、各チームのメンバー決め、役割分担をします。
終了後は自由時間。みんなで談笑したり、残った仕事をしたり。
22:30 就寝。

この期間、だいたい10数人~20数人が入れ替わりながら滞在し、3つか4つのチームに分かれて作業していました。


ワタシは、9日の夜に到着し、翌日の朝から作業に参加しました。

10日に参加した作業は、半島内にある、鳴き砂で知られる「九九鳴き浜」の清掃。
女性中心のチーム編成です。

こんなきれいな浜辺なんですが・・・

ぎゅっと踏むと砂が鳴くよ.jpg

たくさんのゴミが流れ着いています。
木片、砕けてしまった発泡スチロールの「うき」、船の破片らしきもの、その他色々なものが雑多に混じっています。
なかには、焼け焦げた木材も見られます。気仙沼で起きた火事で燃えたもののようです。

これがずらーっと続いているのです.jpg


大きなものでは、船、魚市場で使う水槽なども。

掘り出したチームはさっさと帰りましたが(笑).jpg

この大きな水槽は、砂にほぼ埋まった状態から掘り出されたもの。
津波の威力を思い知ります。


作業を始めてしばらくたち、休憩しようとしたときです。
「あれ?地震・・・?」
何人かが揺れに気付き、海上保安庁の船から、何か言っているのが聞こえてきました。
「津波注意報が発令されました。高台に避難し、海には絶対に近づかないでください」
みんなで、最低限の手荷物だけ持って、ここまで来た山道を登って避難しました。
他のチームも、みんな高台に避難していたそうです。
あとは、船からの放送や防災無線を聞きながら、ひたすら待つ・・・。
結局、解除されて作業に戻るまでには、1時間半くらいかかりました。
この間、たまたまpittsさんに借りて持っていたラジオが、情報源としてとても役に立ちました。
ありがとう!やっぱりひとつ持っておくべきだなあ、ラジオ。


海岸に打ち上げられたごみは、大きなものは手で拾い、小さなものはふるいを使ったりしながら、数種類に分けて袋に入れておきます。
車の入れないところなので、沖から船で回収するそうです。

船があるからわかるかな.jpg

これくらいきれいになりました。(写真を撮った角度が違うのですが、3枚目とほぼ同じ場所です)
でも、海にはまだまだたくさんのものが浮いたり沈んだりしているので、潮が満ちれば再びごみは打ちあげられます。
清掃を繰り返し、数年かけてきれいな海と海岸に戻す、という気の遠くなるような作業なのだそうです。

ワタシは、今まで海の近くに住んだことはありません。
だから、津波注意報や警報が出るというのがどんなことなのか、ほとんど想像すらしていなかったのです。
この日、海の近くで暮らすというのは、その脅威と向き合うことでもあるのだ、と少し実感しました。



作業中は、熱中症を防ぐために休憩と水分はこまめにとりますが、炎天下の作業はやはり疲れます。そして汗だく。
お風呂は近くの民宿でお借りしたり、希望者を集めて車で気仙沼市内の銭湯や温泉に行ったりしていました。
汗を流すと、これが生き返る瞬間!って感じでした(笑)。

朝夕の炊飯・湯沸かし当番はいますが、おかずや味噌汁は各自が作ったり、みんなの分を作ってくれる人がいればありがたくいただいたりします。
みんなの胃袋を支える、ガスコンロと炊飯器。3つで合計2.5升炊けますが、毎日ほぼフル回転!
なにしろ、日々みんなでお米ばっかりがつがつ食べているんです(笑)

ちゃんと消火器もあるね.jpg 炊き方改善案はワタシです.jpg

この日は、夕飯に気仙沼産の生カツオが出ました!このあたりでは、たたきではなく刺身で食します。
・・・出た次の瞬間に半分くらいになっちゃったので、写真はありません(笑)
脂がのっていて、身がしまっていておいしかったよ。


被災地ボランティアに参加するのは、これが生まれて初めて。
説明は受けるものの、とにかくみんなの後をちょろちょろついていくのが精一杯・・・
それでも、唐桑での日々は始まっていきました。

続きます。
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コメント 14

HIRO

こんにちは。
おやまぁ?珍しく1晩乗り(笑)

ボランティアお疲れ様でした。
自分は、逆に海に近い?所だったから、「(生まれる前に)大型台風で、漁船が(住んでいた家より内陸に)流されて来た…」なんて話を親から聞かされていました。

自然は、脅威も恵みも与えてくれますね。
数年後に、又、訪問して見たい所です。
by HIRO (2011-07-19 06:07) 

リュカ

海岸は、こんな状態になっているのですね。
掃除をしても掃除をしても、また海からやってくる・・・
本当に数年単位じゃないと綺麗にならないというのも実感です。
でも掃除後の浜、きれいになりましたね!!
こっちでただ暑い暑いーーーあせが出るーーーなんて言っているよりも
数十倍良い汗のかきかた。
ほんとにお疲れ様でした。
by リュカ (2011-07-19 07:54) 

luces

お疲れ様でした。
とても地道な、気の遠くなるような作業ですね。
市内の瓦礫の撤去作業はニュースでも目にしますが
被災地のあらゆるところでこういったボランティアが続けられていることに
頭が下がる思いです。

by luces (2011-07-19 08:30) 

肥前のFe

皆様のお役に立つ・・・素晴らしいですね。
 きれいになった海岸 見るだけでも うれしくなる^^
 どうです? 絵ごころ 刺激されなかった?
 
by 肥前のFe (2011-07-19 14:43) 

pitts

生命の源だかんね。一日でも早くもとのきれいな海に戻ることを願います。
by pitts (2011-07-19 20:29) 

北海 熊五郎

こんばんは
 ご苦労様でありました。
 繰り返し繰り返しの地道な清掃作業が5年、10年先の綺麗な海へ繋がるんですね。

by 北海 熊五郎 (2011-07-19 22:16) 

ぽとす

おかえりなさい(^^)ありがとうございました&お疲れ様でした。気が遠くなるような繰り返しでやっときれいにできるんでしょうね。ナホトカ号の油でめちゃくちゃにされた三國も今はすっかり戻っているそうですよ。地元の皆さんとこうして志願してくださる人々との努力と根性がモノを言うキッツイ作業、重ねてお礼申し上げます、ありがとう。
by ぽとす (2011-07-19 23:06) 

key-k

なぜ?岐阜?の謎が解けてスッキリw
綺麗な海と瓦礫の対比がやるせない。。。
頑張って戻すしかないですね、お疲れさまでした。
by key-k (2011-07-19 23:56) 

しろのぽ

HIROさん

おっと、ツイッター組をさしおいて(笑)イチバンですね。

九州でも福岡は、台風の影響があまり大きくなくて、高波の怖さとかもあまり知りませんでした。
海は一度荒れると、大きな脅威になりますね。
それでも、大きな恵みを与えてくれるし、たくさんの人がその恩恵に預かっているのだと実感しました。
唐桑は海も風景も、とても美しいところです。また行きたい!


リュカさん

海岸の清掃作業の話ってよく聞きますが、実はとっても根気の要る作業だと知りました。
海と海岸と両方きれいにならなければ終わらないし・・・
それでも、沖には養殖に使う「うき」が並び始めていました。
いやほんと、汗まみれの毎日でしたよ~!
冷房にあたることのほとんどない生活でしたが、身体にとってはそれがいいのかもしれません。


lucesさん

これがまたゴミだらけになるのか・・・と思いながらの帰り道。
でも、いつか絶対、いろんな人の手できれいになる日が来る、と思えたので、むなしくはなかったです。
瓦礫の撤去作業も進んでいますが、まだまだこうした手作業の必要なところも残っています。
ずっと継続して支えていかなければいけませんね。


肥前のFeさん

本当に、誰かの役に少しでも立てているならうれしいです。
清掃できたのは浜のほんの一部ですが、きれいになるものだなあと思いました。
唐桑をはじめ、東北はいい景色がいっぱい!
いつかのんびりスケッチしながら、旅してみたいところです。


pittsさん

そうそう、生命の源であり、生活の場であり、生きる糧なんです。
まだまだ時間はかかるだろうけど、きれいな海に戻る日は必ずくる、と信じてます。


北海 熊五郎さん

被災地の復興は、まだまだ始まったばかり(福島は事情がかなり違いますが・・・)。
豊かで美しい海が戻ってくるまで、地道な作業は続いていくんでしょうね。


ぽとすさん

ただいまー♪
いえいえ、ワタシなんて本当に何もしてないくらいなんですけど、ありがとうございます。
油の汚れがほとんどないせいか、ここの砂は今でも鳴きますよ。
あの原油で汚れた海も、長年かけてきれいになったんですね。
海の力は大きいです。でも、極力汚さず、きれいに利用しなくちゃ。
地元の皆さんは、自分の生活を取り戻すだけでも大変ですよね・・・
これからも、たくさんの支えが届けられてほしいです。


key-kさん

ツイッターだけだと何のことやら、でしょ(笑)?
ツアーを発信してくれたわんたろうさんの本拠地が美濃だったので、美濃発着になったんです(^^;
海の風景が美しいだけに、今回の被害の跡が痛々しい・・・
被災地では、まだまだ支援が必要です。機会が許せば、また行きたいとも思っています。
by しろのぽ (2011-07-20 00:11) 

hoshizou

お疲れ様でした。
震災の記憶とニュースが少しづつ減ってきて、それにあわせてボランティアの
数も減ってきています。
そんな中、この経験と、ブログの発信はありがたいと思います。
私は、仕事で、被災者支援は雇用の確保と位置づけ、そのための仕事を
作ったり、企画提案するプロジェクトについています。
ユーチューブの経験も生かす事にしました。
レポの続き 楽しみにしてます。
by hoshizou (2011-07-20 01:27) 

uni

人として、自分の判断で、四の五の言わず実行する・・この国が崩壊から免れることができるとしたら、そんな方たちの活動のおかげです。
ありがとう。
by uni (2011-07-20 19:49) 

しろのぽ

hoshizouさん

テレビなどの関心は、もうすっかり原発と政局に移ってしまったように思えますね。
でも、まだまだ、被災地の方々の苦労は進行形なのだとあらためて知りました。
ボランティアも行きやすい状況ができてきたので、長い目で見た支援が続けられてほしいですよね。
それにしても、hoshizouさんが仙台に戻ったのは、そのお仕事をするため!?というタイミングですね。
がんばってください!!


uniさん

そんな方たちを尊敬の目で見ていて、東京でじっとしてる自分はなんだ?と思って・・・
行ってみれば、そのあとをちょろちょろ着いて行くだけだったけど、東京にいては見えないものを見た気がします。
たくさんの人の志が、この国の支えになるようにと願っています。
by しろのぽ (2011-07-20 20:57) 

oko

お疲れさまでした。結構朝早くからの行動なんですね。
でも、早くから夕方までのスケジュールは効率いい
ですよね。目に見えて綺麗に片付いて行く・・というのは
手応えが感じられて素晴らしいですね。
ほんと、アタマが下がります・・・
by oko (2011-07-24 21:40) 

しろのぽ

okoさん

ワタシ、こないだまで6時に起きて通勤してたんですよ(^^;
でも、終わるのも寝るのも早いし、妙なストレスないし、すごく健康的でした。
でも、帰ってきたら夜型に・・・orz
清掃は、やりながら色々工夫していって、みんなどんどん効率よくなっていってました。
また散らかるんだよね、って言いながらも、手ごたえは感じられました。

by しろのぽ (2011-07-24 23:51) 

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