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北へ。その3―そこに、人がいる [大地震、それからの日々]

今回活動した唐桑半島は、宮城県と岩手県の県境近くにある半島で、2006年に合併により気仙沼市の一部になっています。
http://www.karakuwa.com/
漁業が主な産業で、海と奇岩の並ぶ風景が美しい景勝地でもあります。

唐桑のシンボル的存在、折石(右下)。


眠い目こすって見に行きました.jpg


朝日とともに眺めることができます。毎朝のように、誰かが散歩していたらしい(^^

明治29年(1896年)の三陸大津波の際、先端部分が2mほど折れたことから折石と呼ばれています。
そのときにも、多くの犠牲者が出たそうです。
ですが、今回の震災では、それを上回る規模の津波が、東北を、そしてこの唐桑を襲いました。



7月13日。
この日は、漁港にて土俵作りのお手伝い。
土俵とは、ワカメなどの養殖に使う、海中に沈める重りとして使うものです。
これが作業場所。


作業中は土砂の山ができてます.jpg


他の団体も参加していて、土砂を袋に詰める作業をみんなで行います。
土俵の重さは、1個60㎏!男性も二人がかりで運ぶ重さです。思い切りガテン系。
で、女性2名は何をしているかというと、袋を縛るための紐結び。
こちらは、漁師のおじさんたちと話しながら、まったりと作業しています(笑)


土俵作りチームを見ると、だいたい15分おきに、わーっと作業して、しばらく休んで、また作業して、というペースです。
これには皆驚くのですが、毎日この作業をするには、これくらいのペースでないと身体がもたない、といいます。
日々身体を使って、海という場所で働く人たちの知恵なのでしょう。

紐結びをしながら、漁師さんたちから色々な話を聞きました。
昔した旅の話から、今回の震災のことまで。
今回の津波は、作業場の屋根を越える高さに達していたそうで、それを聞いて屋根を見上げてぞっとしました。
そういえば、移動中、養殖しているカキの網が、電柱にぶらさがっている光景がよく見られました。
立派に育ったカキは、漁師さんたちの生活の糧であったはずなのに・・・


土俵作りは、普段なら漁師さんがその時必要な分を作るそうですが、今回は一度に失われたため、複数のボランティア団体が入って大量に作っています。
また、カキやホタテなどの養殖は、稚貝を付けるタイミングを逃すと収穫できなくなるそうで、この作業を手伝うこともあります。

「こうして手伝ってもらえるのはありがたいなあ。船さえ出せれば色んなものとって来てあげられるのに」
そう言ってくださる漁師さんたちのなかには、船ばかりか、家も流され、避難所や仮設住宅で暮らしている方も少なくないのです・・・
会社勤めならリタイアしていてもおかしくない年齢で、それでも、海とともに生きようとしている漁師さんたち。
おじちゃんたちが海に戻れる日が、早く来ますように。
魚やらカキやらホタテやらとれるようになったら、食べに行くよ!


7月14日。
仮設住宅に入る方へ、生活用品をお渡しする作業。
人数は多いけれど、お渡しする個数は少ないということで、男性はひとり、あとは女性ばかり少人数のチーム編成でした。
「そろそろリーダーやってもいいんじゃないの」誰が?ってワタシかー(T▽T;)
とはいえ、無事に渡して午前中で終わるだろうから、そこまでだよね。
現場の状況はわからないけど、あれこれ想定しながら、まずは物資を積み出すために倉庫に向かいます。

話が違う!!?

当初の想定の数倍、しかも重量物を含めた物資の数々・・・
本部に応援を頼み、とにかく荷物を積み出し、最後の便で手渡し場所に到着してからのことはもうワケがわかっていませんorz
現場にいたみんなが、必死に頑張っていました。
それでも、渡せなかった物資がかなり残ってしまい、その分が継続となってしまいました。
どうか、無事に届けられますように・・・。


向こうに仮設住宅があります.jpg


さらに、午後にも同じような作業があるとのこと。
午前の教訓を活かし、みんなが知恵を出してくれて、こちらはなんとか乗り切ることができました。
でも、あとから追加された分を忘れそうになっていたのはワタシですorz

「あなたのせいじゃないよ、誰もあれは予想できなかったもん」
口々に言ってくれる、一緒に作業した仲間たち。
この1日をなんとか終えられたのは、皆さんのおかげです。
みんなみんな、本当におつかれさまでした!!



7月15日。
いよいよ帰る日がやってきてしまいました。
「もう1日いればいいのに」とか言われて後ろ髪引かれる思いです。

結局、帰る経路は、行く時と同じにしました。
一度岐阜に戻り、そこから東京に帰るという大回りルート(笑)です。
トヨタ白川郷自然学校組と、美濃へ帰るわんたろうさんが帰る車に便乗します。
高速に乗る前に、少し、いやだいぶ?寄り道。
わんたろうさんがかつて物資を届けた避難所や、RQの他の拠点に立ち寄りながらの帰り道です。


船がここにあるわけない!.jpg

(これは、お風呂に行く途中で何度も通った、気仙沼の市街地)


瓦礫の撤去作業が進み、焼け野原のように何もなくなった市街地。
建物の基礎が残っていて、そこに人が暮らしていたことを教えてくれる。
壊れたお店の前で、給油だけはと営業しているガソリンスタンド。
小学校の校地に仮設住宅が建ち、生活が始まっているけれど、その脇の体育館には、まだ避難所生活を送る人たちがいる。
まだまだ、被災地は深手を負ったままで、それでもそこに、人々が生きている・・・。

沿道や避難所のあちこちに、「ありがとう」と書かれた看板や垂れ幕があるのに気付いて、胸が熱くなる。
自らが痛みを抱えながら、他人への感謝を忘れない。
今まで、そんな気持ちでいたことが、自分にあっただろうか、と省みる。
こちらこそ「ありがとう」。


自分に何ができたかなんて、よくわからない。というか、ほんのちょっとうろうろしてたようなもの。
遅ればせながら現地に行って、見たことも知ったことも、多分ごくわずかな部分。
それでも、そこにいたことが、色んなことを自分に刻んでくれた、そんな気がします。


手ぬぐい大人気でした.jpg


唐桑VCは、みんな個性的で仲がよく、フラットな関係で風通しのいい、とてもアットホームな拠点でした。
こんなワタシががんばれたのも、皆さんのおかげです。
本当にありがとうございました!
唐桑の美しい風景、温かい人々も忘れられません。
機会があれば、また行って、何かのお手伝いができたらいいな。



写真を撮る間もなかったので、長文続きですみません。
次は番外編です。
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コメント 20

北海 熊五郎

お疲れ様の言葉しか出ません。
土嚢は仕事で昔60体作って運んだことがありますが
あれはヘビーなお仕事。

美味しいお魚が上がるようになるとよいですね。
by 北海 熊五郎 (2011-07-22 17:49) 

HIRO

こんにちは。
本当にお疲れ様でした。
一過性で、片付く様な作業じゃないですね。
若い頃は、同僚と25kg入った紙袋をキャッチボール?とかしてたりしてましたけど、流石に今は…(笑)

by HIRO (2011-07-22 21:33) 

miyomiyo

オバファンが色々と社会の役に立ってて羨ましい限りです。

by miyomiyo (2011-07-22 21:44) 

luces

お疲れさまです。
小さい力が集まって、大きな復興の形になって行くのでしょうね。
積み上げられた土嚢と段ボールに作業の大変さが偲ばれます。
by luces (2011-07-23 10:30) 

リュカ

昨日はお疲れ様!
直に今回のお話が聞けて、すごく良かったです(^^)

一枚目の写真。
こんなにも綺麗で穏やかな海が、今回たくさんの命を、ものを飲み込んでいったのですね。
土俵づくりお疲れ様です。
紐結びも数があるもの、大変だと思います。
それにしても60kgだなんて、足に落としたらケガしそう(笑)
by リュカ (2011-07-23 12:53) 

hoshizou

たった一つの地震と津波が、二万個の命を、突然奪い
何十万の人生を大きく狂わせました。
そんな中で、しろのぽさんの行動は1000人くらいに影響を与えたのかな。
パーセントにしたら、わずかかもしれないけど、0じゃないんだ。
それは、凄いことなんだ。
1しろのぽが、100しろのぽ、1000しろのぽと増えていくと、
どんどん大きな力になっていく。

仕事や環境の問題もあって、何もしてない私達は、0なんだ。
いくら集まっても、0hoshizouは、0。
だから、「ほんのちょっとうろうろしてたようなもの。」と言うけど、
その行動したという事実が、とても尊敬に値します。

私も、必ず何かするよ。
↑そう思わせた事だけでも、この記事は価値がある!!!
by hoshizou (2011-07-23 14:52) 

maki

じーんとしちゃった。
私なんて東京にいて楽ちんぽん生活。
同じ日本で戦ってる人がいるんだーって
まだまだ終わりは来ないんだってことを思い出させてくれてありがとう。
なんか、すんごく感動した。
目にうっすら涙だよ(ホントだよ)
なのにどうして面白いキャプション求めて
カーソルを画像に乗せてしまうんだろう(TT)
by maki (2011-07-23 16:26) 

ゆう

おじいちゃんにボランティアに来た方の気持ちが伝わって
元気になればいいなって思う。
それでなくても高齢になると生活は大変なのに・・・
この前ばぁちゃんに「いつの時代がヨカッタ?」って聞いたら
「う~~ん、わたしらの時代はいつもよくなかったなぁ」って
言ってた・・
厳しい時代を生き抜いて歳をとって体が思うように動かなくなって今・・・
そこに震災の悲劇が来た地域の方の心痛・・
しろのぽさんの支援がほっこりとみんなの心に残りますように・・
by ゆう (2011-07-23 19:21) 

しろのぽ

北海 熊五郎さん

こちらこそ、ご協力ありがとうございました。
土俵作りチームは、見てるだけでヘビーさが伝わりました。
物足りないくらいのペースで働くことで、結果的には安全にたくさん作れるんでしょうね。
おいしいお魚が揚がって流通するには、船だけでなく、冷凍・保冷設備の復旧も必要です。
でも、港には無残に壊れた倉庫・・・なんとかよみがえってほしいです。


HIROさん

現地の方々が、それぞれの生活を取り戻していけるよう、これからもさまざまな支援が必要ですよね。
体力ある人もそれなりの人も、できることはたくさんあると思います。
25㎏。ワタシ多分持ち上げられません(ホントです!)


miyomiyoさん

がんばって書いたぞ的コメントありがとうございます(爆)
場外ぢゃ~真面目不真面目自在にコメントするくせにー。


lucesさん

大きな力も、小さな力も、それぞれの役割を果たしながら、復興へとつながっていきたいですよね。
土俵の数すごいですよね。次々と積まれていくのがびっくりでした。
物資もこれだけあると、受け取る側も手に持って運べないんですよねー。
そのあたりもしっかり考えて作業しなきゃと思い知りました。


リュカさん

おつかれさまでした。
色々お話できて楽しかったです。
飲んだくれてたので、朝になってケータイ見て、こんなメールのやり取りしてたっけ、みたいな(笑)

三陸の海は本当にきれいで、でもそこで起きたことの記憶は生々しくて。
「この海にまだ5000人いるんだよ・・・」あれはずしんとくるひと言でした。
土俵作りは、持っていれば安全靴推奨の作業です。
けが人が出なくてよかったです。


hoshizouさん

2万人とか、数十万人とか・・・大きすぎて実感できないほどだけど、現実なんですよね。
えーっと、ページビューからして1000はないでしょう、半分くらい?
せっかくブログあるんだし、たいしたことできなくても、伝えられることはあるかなって思って記事書きました。
支援活動に興味を持ってくれた友人もいて、それだけでもよかったかなと。

hoshizouさんはまさに現地にいて、これから大切なお仕事がありますからね。
動き出したhoshizouさんは、一気に1000hoshizouさんくらいになっちゃいそうです(笑)


makiさん

ワタシも、戻ってぼけーっと暮らしてます(笑)
でも、行く前と何か違ってます、たぶん。
震災は、被災地の問題だけでなく、さまざまな社会問題をあぶり出しているように思います。
しんどいけど、目を逸らしてはいけないなって。

テキストの量が多くて気が引けつつのアップでしたが、しっかり読んでくださって、ありがとうございます。
しかも、写真のキャプションまで・・・期待されちゃったのでこれからもがんばります(笑)


ゆうさん

お互いの気持ちが伝わって、お互いに元気になる、そんな支援ができたら最高ですよね。
厳しい時代を生き抜いてきたお年寄り、みんなのんびり暮らせたらいいのに・・・
東北も高齢化した地域の多いところです。
生活の基盤を失った人、避難生活している人、色んな人の色んな苦労があって、想像すらつきません。
そんな中でもせめて、人間捨てたものじゃないな、と思える状況であってほしいと思います。


by しろのぽ (2011-07-24 02:00) 

肥前のFe

なにごとも無かったような折石の日の出
 地震、津波で自然の秘められた力 思い知らされたのですね
 こんなとき 若い女性が支援に駆けつける
 地域の人にとって 大きなこころの支えになったことでしょう 
 しろのぽちゃんは えらい
by 肥前のFe (2011-07-24 07:16) 

ake_i

本当にお疲れさまでした。
ひとことでは言いきれないものがあるでしょうね。
長文になって当然です。

パクチーもお疲れさまでした(^◇^)
by ake_i (2011-07-24 12:35) 

oko

ホントにお疲れ様でした。宮城に実家のある母が
「何かしてあげたいけど、私が行っても足手まとい
なんだよね・・・」と・・・。
だから、読んでてやっぱりじーんとしちゃいました。
あれから4ヶ月・・・。時間は過ぎててみんな頑張ってる。
沢山の方がボランティアに行ってくださって少しづつ
町が復興してる・・・人間って凄いな・・日本って凄いな・・
と改めて思いました。
by oko (2011-07-24 14:52) 

響

ボランティアお疲れ様。
僕達が行けない分しろのぽさんが行ってくれて感謝します。
まだやることは山ほどあるようですが
こうして少しずつでも復興に向けていってほしいね。
次回はボランティアじゃなくて遊びで行ける街であってほしいな。

by (2011-07-24 15:41) 

しろのぽ

肥前のFeさん

こんなにきれいな海なのに、まだ5000人も飲み込んだままで・・・
過去にも津波被害に遭いながら、三陸の方々は海とともに暮らしてきました。
これから、どのような復興がなされていくんでしょうね。
ここで会ったボランティアの方々は、気持ちのいい人たちばかりでした。
一緒に活動できてよかったです。


ake_iさん

いらっしゃいませ♪
色んな思いがあって、書かずにはいられなくて、この分量です(^^;
ここでは書けないこともたくさんあるのですが・・・
パクチー飲み楽しかった!
いつかご一緒に、って、ワタシなんか皆さんの足元にも及ばなさそうです(笑)


okoさん

震災後大変でしたよね。
お母さまも、かなり気疲れされたと思います。
駆けつけられたらいいけれど、それがかなわず心配するしかないのも、辛いですよね。
こうして、色々な人たちが関わっている姿が、少しでも気持ちを楽にするものであればと思います。
気仙沼も、主要産業の漁業ができなくなって、仕事のない人がたくさんいるそうです・・・
地域が立ち直るよう、行政もがんばってくれないと困りますね。


響さん

みんなが現地に行けるわけではないですよね。
ワタシはたまたま行く機会ができたので、行けましたが・・・
現地に行くと、何にもなくなった町や港が、あちこちにあります。
これをどうしたらいいのだろう、と途方に暮れるような光景です。
どうかどうか、少しでも早く、現地の方々が自分の生活を始めていけますように。
いつかまた、海沿いの町をめぐって、おいしい海産物をいただきながらの旅がしたいです。

by しろのぽ (2011-07-24 21:50) 

e-g-g

土俵作りの作業、生活用品を渡す作業、
どちらもこうやって具体的に細かい話を聞いて、
はじめて分かることもあるのです。
それをもとにどのくらいイメージを膨らますことができるか?
その先は個々人の問題でもあるのですけどね。

今度の災害のひどさは、理屈の上では分かっているつもりなんですよね。
報道を見聞きして、ある程度の想像力の助けを借りながらも。
でも、現地のリアルなディテールは、
画面からだけではもちろん伝わってこないわけです。

もっと書いて、とはおいそれとは言えないですが、
このような貴重なリポートはどんなに長文になろうと、
それは意味のあることですし、良いことなのです。
十年、二十年が経って、
ふと土俵のことを思い出すかもしれません。
北への想いも、これまでとは違うものになるでしょう。
しろのぽさんに刻まれたことの、
万分の一にも届かないでしょうが、
確実にインプットされるのですから。

とにもかくにも、
その-1から3まで、ありがとうございました。
番外編、楽しみにしてますよ〜
by e-g-g (2011-07-25 16:17) 

ぽとす

ほっんとに「食べさせてあげたい」んだよねぇ、そういう土地柄、お人柄なんだよねぇ。採れるようになったら絶対行ってあげてくださいね、すごく待っててくれると思う。からくわ荘だったかなー、国民宿舎ありましたよね。一泊した記憶有。朝散歩してたら、夫が蜂に刺されちゃって(^^;ミツバチだったからよかったけど。また泊まりにいこーっと。
by ぽとす (2011-07-25 22:10) 

uni

一気に崩された積み木を、少しずつでも確かに積む人たちがいる。
そんな場所は、今がれきばかりでも、また歴史が始まっています。
しろのぽさんは、そこでスタータースイッチを押した人になりました。
by uni (2011-07-25 23:02) 

しろのぽ

e-g-gさん

どこまで書いたものか?読むほうが大変になっちゃうよね?とも思いながら、ただ行った、だけのレポにはしたくなかったんです。
というか、ワタシ自身が、今回のことを忘れたくなくて、がんばって書いたような面もあるのですが(笑)

報道を見て想像しても、どこか手の届かない感覚がどうしてもあるわけで。
何かを考えるとき、当事者の視点に近づくことが、とても大切だと思っています。
今回はたまたま、現地に行ってみる、という行動をとることができました。
ひとりの小さな視野に映ったものだからこそ、よりリアルに感じられる。
そんな感覚が伝わっていたらいいな、と思います。

海沿いの市街地は、驚きとか悲しみといった具体的な感情がふっとぶような景色の連続でした。
復興には長い長い時間がかかるでしょう。
ならば、過去に起きた災害の被災地だって、まだまだ完全には立ち直っていないところがたくさんあるのだろうと気付きました。
とにかく、忘れないことが大切ですよね。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
番外編、たぶんがらっと変わります(笑)


ぽとすさん

ここまで生活の場に近いところで、東北の方と接したのは初めてに近かったかもしれません。
被災する前から厳しい現実のあった地域だけど、都会とは違う豊かさも大いに感じました。
もうね、採れるようになったら、海産物食べに行かなきゃって思ってます。
確か、からくわ荘いいなーと思ったけど予算が合わず、唐桑YHは空きがなく、結局陸前高田YHに泊ったように思います。
ああいう所だから自然が豊富で、いろんな動物が出るみたいですけどね(^^;
ワタシも次は、唐桑YHに泊りたいなぁ(貧)


uniさん

あちこちで、少しずつ生活を立て直していく方の姿も、たくさん目にしました。
その一方で、いまだ避難所にいるような方も・・・
それぞれの歴史の歩みが、より未来への希望がある、確実なものになっていけばと思います。
みんなで、小さなスイッチをたくさんたくさん押して、大きな灯りになったらいいですよね。
by しろのぽ (2011-07-26 00:33) 

桜♪

お疲れ様でした
小さな力も積み上げたら大きな渦となって広がる
そう 津波のように。
水の力にも負けない 人の力で押し返せ!
そんな小さな力が 一人一人に宿れば 復興も遠くないと感じました
ほしぞーさんの言葉に感動しました
その通りだとおもいます ディスクで記事を読んでも 動けない自分より
ずーとずーと 何十倍も勇気かつ行動だったと想いますよー

by 桜♪ (2011-07-26 11:20) 

しろのぽ

桜♪さん

ひとたび暴れれば、人の手には負えない自然の力。
その中で生きるために、人は力と知恵を合わせてきたんですものね。
特に、実際に自然を相手に暮らしてきた人たちには、その強さを感じました。

ワタシは、現地に行ける状況が揃ったところで、行くことができました。
でも、現地に行けなくてもできることはあるし、ずっと支え続けることが大事だと思います。

by しろのぽ (2011-07-28 02:12) 

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