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再び、北へ。その4―心を、つないでいく [大地震、それからの日々]

そのピアノは、海を見ていた。

作業中は掘りごたつが危険地帯・・・.jpg




この写真は、北へ。その2―そこに、心がある に登場した、あのピアノです。


カキ養殖のお手伝いの合い間に、家財出しの作業にも行きました。
津波で被害を受けた家は、取り壊す前に、家財を運び出す必要があります。
唐桑では、震災から5ヶ月以上たっても、家財出しの終わっていない家が、まだ一部残っていました。


もうかなり片付いています.jpg


海に程近いこの家は、おそらく全体が津波をかぶっており、ほとんど全ての部屋の天井が落ちていました。
被災家屋の家財出しは、一軒につき15人~20人ほどのチームが、3~5日かけて行う大仕事。
この日は、東北学院大学が全国から集めた、学生のチームとの共同作業でした。
すでに大きなものは運び出され、集積所への運搬と、残ったものの分別、片付けがメインの1日です。

ちょっと不思議なものが残っていました。


もったいない気もします.jpg


古い羅針器らしい。

残された家財や本からは、その家の家族構成や、暮らしぶりが見えてきたりもします。

この家の2階に、津波で倒れたピアノがありました。
作業班からは、「このままにしておいても、まあいいんだけどね・・・」という意見もありました。
ワタシは、7月に家財出しをしたおうちのことを思い出していました。(→ここ
そして、午前中リーダーを務めていたヤマさんに、あのピアノの話をしました。

ピアノは、男性数名がかりで慎重に起こされ、本来置かれていたであろう向きに据えられました。
ワタシは、落ちていた布で、ごく簡単に砂ぼこりを払いました。


いくつか音が出ます.jpg


ここで誰かがこのピアノを弾いていた。
きっと、それを家族が囲んでいた。
かつてそこにあった情景に、一瞬ふわっと包まれたような気がして・・・
胸にこみ上げるものを抑えながら、その場を去りました。


ヤマさんが帰っちゃったので、午後はワタシが引き継いで現場リーダーをやっていました。
といっても、ホウキ持ってうろうろしながら、やり残したところを掃除したり、学生チームに作業をお願いしたり、集積所への輸送班と連携を取ったり、くらいのものでしたが(笑)

学生チームは、装備もきちんとしていて、地道な作業にも集中して行っていました。
ありがとうございました!



翌日の、漁港での土俵作りのお手伝いにも、学生チームが参加していました。

土俵作りについては→北へ。その3―そこに、人がいる

ここの土俵は、1個40㎏ほど。
唐桑の東側(外湾)で、主にホタテやワカメの養殖に使われるものです。
現場によって違いますが、最終的には数万個(!)という数になったりします。人手も時間もかかります。


リモコン操作なんだよ!.jpg


男性チームは、土砂を詰めた袋を移動させ、口をひもでくくって閉じる作業。
この袋のひもですが、ただ通してあるだけなので、結び合わせて輪にしておきます。
この作業は女性チームが行います。

袋に土砂を詰めるホッパーは、ボランティアの応援メッセージだらけ(笑)。
石筆で書いてあるので、わりと簡単に消えますが・・・


ワタシは何を書き損じたんだか.jpg


ホッパーにメッセージを書く女子学生たちと、それを笑いながら見ている漁師さんたち。
ものすごーくいい顔で笑っているんですよ(笑)


アップで見せたいほどいい笑顔!.jpg


そういえば、カキ養殖のお手伝いに行ったときも、漁師さんの奥さんが、とても明るくふるまっていたり。
女性ばかりのチームで行った日、いかだにカキを吊るしに行く作業(1人か2人船に乗って手伝う)が妙に多かったり。
それを見て、お手伝いのおばあちゃんが漁師さんをからかっていたり。
年配の漁師さんが、昔遠洋漁業に行っていた頃の写真を、見せてくださったり。

地元の方は、本来ならとても笑っていられない状況にあるはずです。
そこで、どれほどボランティアが役に立っているの・・・?と仲間たちと話したこともありました。
ただ、そこに会話や笑顔が生まれることは、悪いことではない、と勝手だけど思ったりもします。



唐桑VCでは、ニーズに対してボランティアの人数が不足しがちで、登米にある現地本部や、唐桑で活動する他の団体、学生ボランティアと協力しての作業が多くありました。
団体間の横のつながりもできていて、協力体制を作るだけでなく、現地のために自分達の活動がどうあるべきか、ということも話し合われています。

ワタシが行ったのをきっかけに、ならば自分もと、夏休みを使ってボランティアに行ってくれた友人もいます。
最初は友人と一緒に来て、今度は1人で来る人(ワタシもですが)、あるいは別の友人や家族を連れて来る人もいます。

たくさんの、色々な立場の人が、それぞれの心をつないでいく。
唐桑での日々は、そんな力を感じた時間でもありました。



今、ボランティアの数は減ってきています。
現地に長期滞在して、コーディネートや総務の仕事を行う人の不足も深刻です。
多くの避難所が解散し、仮設住宅へと生活の場が移っている今、支援の内容も問題点も変化しつつあります。
あの震災からもうすぐ半年。
一介のボランティアに過ぎないワタシにも、いろいろなことが転換期にあると感じられました。


続きます。
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コメント 13

北海 熊五郎

お疲れさんでありました。
暑かったでしょー。

少しは日焼けしましたか?
by 北海 熊五郎 (2011-09-04 21:53) 

oko

お疲れさまでした。
ピアノが何かを語ってる
気がします・・・
・・震災で名前が出る事も多くなったけど
母の田舎は登米です。
by oko (2011-09-05 05:44) 

肥前のFe

しろのぽちゃん達が居るだけで 明るい雰囲気が出来るのですね。
 男だけだったら こうは行かないかも。
by 肥前のFe (2011-09-05 06:35) 

リュカ

あのときのピアノですね。
なんだかこっちまで感慨深いです。
女性が居ると、地元の人も馴染みやすいのかもしれないですね。
男の人だけだと構えちゃう部分もあるかもしれないんだなって
ちょっと思いました。

by リュカ (2011-09-05 07:15) 

HIRO

こんにちは。
あのピアノも、あるべきだった場所に戻れて良かったですね。

確かに男性だけのボランティアより、和みがあったりするんでしょうね。
他の地域の人が行く事で、交流が生まれて力になると信じたいです。
by HIRO (2011-09-05 07:58) 

e-g-g

このピアノの写真は切ない。
がたがたになった鍵盤も痛々しい。

ピアノの置かれた部屋、
写真でも伝わるものが重く強いのに、
実際にこの目で見たら一生忘れられない光景でしょう。
by e-g-g (2011-09-05 20:18) 

ヤマ

ご無沙汰です
バールの似合う午前中のリーダーのヤマです

チーム唐桑で検索していたらここに出会いました

午後のリーダーお疲れさまでした
金曜土曜と夕方のミーティングがなく
十分な引継ぎができないまま帰ってしまい
申し訳ないです(あの羅針儀、どうしたのかな)

来週からの3連休、またまた唐桑に行く予定です
一度ご連絡ください、待ってます
よろしく
by ヤマ (2011-09-05 20:35) 

luces

がらんとした部屋に置かれたピアノ。
このピアノを弾いてくれる人はいるのだろうか、と考えてしまいます。
きれいになって据え付けられたピアノにボランティアの方々の
優しさを感じます。
ホッパーのメッセージもそうですね。
現地の方々と心がつながっていくのでしょう。
by luces (2011-09-06 11:26) 

しろのぽ

北海 熊五郎さん

実は、暑かったのは2、3日だけで、あとは曇りがちで涼しい日々でした。
東京は暑いらしいね、なんて言ってたりして(笑)
日焼けは結構してますが、これも東京で焼けた、に5000点(古)


okoさん

ワタシも、ピアノが何かを語っているような気がしてなりませんでした。
お母さま、登米のご出身だったんですね。
まだ何かと心配も多いかと思います。無理なさらないでくださいね。


肥前のFeさん

このコメで、後の流れができちゃってる気が(笑)
力仕事の多い現場にも、女性が数名いることで、雰囲気が変わるし、男性陣の動きもよくなる。
というのが、唐桑VCのリーダーであるほっしゃんの持論です。
男ってそういうもんなの・・・みたいな(笑)


リュカさん

ワタシも、あのピアノを今回見ることができて感慨深いものがありました。
クマを見たら泣けてきそうでしたよ。
漁港など、普段は男性ばかりの現場に、若い女性がたくさん。
もーおじさんたち鼻の下伸びてるよ、みたいな(笑)。そんな瞬間があるのもいいと思います。


HIROさん

ピアノは、他の家財のように運び出して処理することができません。
残しておいて業者に頼むらしいので、ここまでする必要も実はないのでしょう。
でも、自己満足かもしれないけど、できるだけあるべき姿にしておきたかったんです。

現地では、あくまでも地元の方が主役だけど、他の地域の人だからできることもある。
そんな風にも思います。


e-g-gさん

連続コメントありがとうございます。
立てておいてこれなのだから、横倒しになった姿はもっと切ないものがありました。
それで、ちゃんと起こしてあげたい、と男性陣にお願いしました。
鍵盤はガタガタですが、一部からは音が出ました。それがまた切ない・・・

何もなくなった部屋から、ほんのちょっと垣間見えた、住処を失う痛み。
それを自分のものとして耐えている人たちが、たくさんいます。
簡単に「復興」を口にする前に、そのことを心に刻んでおきたいです。


ヤマさん

あ、や、ヤマさん・・・( ̄▽ ̄;;
唐桑ではたいへんお世話になりました。
ハンドル違うのに、よく見つけましたね。って自分のこと書かれてりゃねぇ(笑)

午前中あらかたやっていただけたので、午後はワタシでもどうにかなりました。
現場見て引き継ぎってやつです(?)
報告書は、輸送班のタカさんに半分以上書いていただいちゃいましたしね(押し付けたとも言う)

9月もみなさん頑張って唐桑入りするみたいですね。
ワタシももう1回は行きたいんだけどなぁ。

そんなわけで、遅ればせながらメールいたしました。よろしくお願いします。


lucesさん

誰かが戻ってきて、あのピアノを弾くことがあるのかな。
いくつかの鍵盤からぽつぽつと音が出るのが、かえって切ないんじゃないのかな。
そんな風に思いました。

このピアノのこととか、取り壊す予定の家をきれいに掃除することとか。
無償だからこそできる、一見無駄なことが、実はボランティアが現地の役に立っている部分なのかもしれません。
by しろのぽ (2011-09-07 01:49) 

hoshizou

私も、みんなと同じく、ピアノにひきつけられます。
ピアノがあるということは、生活水準が高く(勝手な思い込みですが)
レースの服を着たお嬢様がひいていたと思うのですよ。
ピアノの周りに、ヒゲをつけたパパと、優しいママと、オチャメな弟が
見えてきますね。
そんな、幸せを一瞬で奪った津波。・・・以下省略。
いつまでも悔やんでも仕方がない。
私達は、今の私達にできる事で、この街が元に戻るための手助けをしていきましょう。
by hoshizou (2011-09-08 02:11) 

しろのぽ

hoshizouさん

ピアノが買える&置けるくらい、大きくてしっかりしたお家でした。
残された本を見ると、男の子と女の子(といっても同世代かな)がいたみたい。鋭い考察ですねぇ。
レースの服は、はは、微妙だ(笑)
傍から見ているだけでも、いったいこれからどうしたら・・・と思うことばかり。
それでも、あきらめずに頑張っている人がたくさんいるのと見てきました。
忘れちゃいけないし、できることはしていかなければと思っています。
by しろのぽ (2011-09-09 00:39) 

T2

“本来あった姿に”
かなわないものも多いからこそ
少しでも、っていう現場ならではの気持ち
よく伝わる話です
“心をつないでいく” 
こういう場面でこそ、本当の意味がわかる言葉ですね
by T2 (2011-09-13 21:10) 

しろのぽ

T2さん

何のために、とか考えちゃうと、かえってよくわからなくなるんですけどね(^^;
ぐしゃぐしゃだった家の中がきれいになると、気持ちが落ち着くと同時に、切なくもなります。
普段は、「心のつながり」なんて容易く口にするもんじゃないよ、的なワタシ(笑)なんですが。
それ以外に表現しようのないことが、唐桑にはたくさんありました。
by しろのぽ (2011-09-13 23:20) 

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