もう5月ですって(あれ?デジャヴ?)! ・・・
ああっ忘れるところでしたー!とあわてて行った、東京国立近代美術館。
(作品の画像はこちらからぜひどうぞ)
数少ない女性の文化勲章受章者とか何とかいう以前に、戦後に活躍した偉大な日本画家のひとり。
10年前の大きな展覧会を見逃しており、まとめて見るのは意外にも今回が初めてです。
5月4日、本来なら休館日の月曜だけど開館している、ということで少しはすいてるかな?と期待しつつ行ってみました。 まずはいつもどおり、展示室全体をぐるっと歩いて回ります。
・・・ど、どうしよう、いったん絵のないところに行きたい。
いろんな展覧会を見てきたけど、こんなに気押されたのも珍しい。
それほど、展示室は濃密な力に満ちていました。
結局、別室のようになっていた素描のパートを見て、そのあと初期から順に見るという、いつもと違うパターンで見ていくことにしました(普段は最初においしいところ取りをすることが多いのです)。
とにかく展覧会に落ち続けたという球子が、初めて院展に入選したのがこれ。
とてもその後の片岡球子を想像できない作品です。
その後も落選を続けながらも、入選を続けられるようになり、「祈禱の僧」で大観賞を受賞します。
その時に小林古径からかけられた言葉がすごい。→こちらでその一部が読めます。
「あなたの絵はゲテモノと呼ばれているが、そのまま変えずに描きなさい」といった内容なんですが、同時に古径は「写生が足りない、ものをよく見なければ」とも言っています。 この辺の話をするといくらでも書けるんですが(笑)、ともかくこの言葉が、球子の制作において核となっていったのは間違いありません。
その後、昭和20年代の終盤に描かれた「カンナ」あたりから、球子の個性が爆発します。
最初の頃は洋画の影響もわりとわかりやすく見られますが、だんだん「片岡球子全部盛り」とでもいいますか、強烈で圧倒的な表現になっていきます。 昭和36(1961)年の「幻想」なんかもう、絵具も箔も金泥も混沌としちゃってすごいことになってます。
そして昭和40年代、代表作である、一連の「面構」シリーズを描きはじめます。
このあたりになると、画面を縦横無尽に覆い尽くしていたマチエールや装飾が、モチーフの形状にきっちり収まりはじめ、その分人物などのフォルムが前面に出てきます。形状のデフォルメも進化しているのがよくわかる。
このシリーズを制作するにあたっては、膨大な量の写生や取材を行っているのですが、実際に作品に表れる「面構」は、準備段階で得た写生などにまるで似ていない、というのが面白い。
さてここで、最初に逃げ込んだ(笑)写生の展示が気になってきます。 片岡球子という人には、もうそもそも世界がこう見えていたのでは・・・と思うほど、本画のタッチを彷彿とさせるスケッチがたくさん描かれています。
渦潮のぐるぐるは、晩年のポロックの「ロールオーバー」をちょっと思い出しますな。
ところが、花などを見たままにみずみずしく描いた写生が、これまた上手いんです。こんなのも描けるんか!というほど。
ただ圧倒的な個性にまかせて描くのではない。写生を通して対象の本質に迫るという日本画の本流から逸れることなく、それを自身の個性の表出として解き放つ。
そうして何をやっても、片岡球子は片岡球子であって揺るがない、その強度。
いやはや最初に気押されたわけです。
「面構」シリーズを99歳(2004年)まで描き続けながらも、78歳から(!!)はヌードにも挑戦しています。 人体とそれを置く空間の扱いに苦労しつつ、模索しているのがよくわかります。
このヌードの作品を含め、球子は100歳まで制作を続け、2008年に103歳で逝去します。
なぜかご長寿が多い、日本画家の不思議。
近代美術館は膨大な数の所蔵作品も魅力なのですが、片岡球子展に合わせ、日本画好きなら垂涎ものの展示になっています。小倉遊亀の「浴女」その一・二も揃ってまっせ!
所蔵作品展については→こちら
「10. 女性・日本画家」の項のコメントには考えさせられますね・・・。特別展の入場券で、その日に限り所蔵作品展も見られます。時間をたっぷり取ってお見逃しなく。
東京展は終了が迫ってます・・・。
生誕110年 片岡球子展 http://tamako2015.exhn.jp/
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