ファイナル&スタート@大阪 [つれづれ]
桜満開の週末。
気分爽快な多摩サイクリングロード。富士山が見えてます。
・・・を横目に土曜出勤orz
で、日曜日。
こんなところにいるワタシ。
いきなりですがここは大阪。向こう岸に大阪城ホールが見えてます。
朝から冷たい雨模様。昼前には本降りになりました。
空き時間でちょこっと見た、朝の大阪城は、たくさんの人出でした。
いやぁもう、寒かった~。
花見も観光もしてないし、大阪らしいものも何ひとつ食べずに帰ってきた(T_T)強行日程。
じゃあ何しに行ったのよ?長いしちょっとヘヴィなお話もありますが・・・
自死遺族支援全国キャラバンin大阪
自殺対策、特に今まで立ち遅れていた、自死遺族(自殺で大切な人を失った人をこう呼びます)への支援をテーマとした官民合同シンポジウムを、全都道府県で行うこのプロジェクトが、この3月30日の大阪でフィナーレを迎えました。
(自死遺族支援全国キャラバンについて、詳しくはNPO法人ライフリンクのHPにて)
去年の7月1日、東京ビッグサイトで行われた第1回、私は縁あって、ボランティアスタッフの一員として会場にいました。
今回は迷ってたんですが、活動の中で知り合った仲間の誘いもあって、急きょ大阪行きを決めました。
日本での年間の自殺者数、3万人以上(1998年より10年連続)。これは、東京マラソンの出走者にほぼ匹敵するそうです。
10年間での自殺者数、30万人以上。10年間で、地方の中規模な都市(東大の姜尚中教授は、三重県の津市に例えていました)ほどの人々が、自ら命を絶ったことになります。
ライフリンクの清水代表は、かつてはNHKのディレクターでした。その清水代表が撮った、東京マラソンの映像には、靖国通りを埋め尽くして走るランナーたちが、延々と写っていました。3万人が通過するのに、20分以上もかかったそうです。
「3万人」の存在感を、ずしりと感じました。
それぞれに、それぞれの人生が、生活があり、大切な人がいて・・・ごく当たり前に、同じ社会で生きていた、これだけたくさんの人たち。
ひとりの人が死んで、深刻な影響を受ける人が、およそ5人はいるといわれています。
単純計算で、年間15万人。10年間で、150万人。もっとさかのぼれば、その数は計り知れません。なのにその存在は、とても社会的に認知されていたとはいえません。
遺族たちが、必ずといっていいほど口にする言葉があるそうです。
「まさか」。
1年前に、10年前に、「まさか」自分が自殺する、または自死遺族となるとは、ほとんどの人は思っていなかったはず。
どうせなら目をそむけていたい。なのに、それがある日、自分にとっての現実となる。
私は、その現実を、約25年生きてきました。
シンポジウムでは、必ず、遺族の方の体験談が生で語られます。
家族を自殺で亡くした人たちは、死別の悲しみに加えて、なぜ止められなかったのかという自責の念、周囲の無理解や偏見に怯えるあまり、誰にも本当のことを言えずに孤立する傾向が強いといわれています。
私の家族も、家族どうしでさえその思いをわかちあうことなく、さらに大切な人を(自殺ではないのですが)失い、ばらばらになりました。
自殺が奪うのは、その人のいのちだけじゃない。
こんな思いを、もう他の誰かに、してほしくない。多くの遺族、そして私も、抱いている気持ちです。
その思いから、声をあげた遺族・遺児たちがいます。
民間で、ずっと自殺対策や遺族支援に取り組んできた人たちがいます。
一方で、2006年の自殺対策基本法を受け、国や行政もまた、それに取り組むことになりました。
どちらにも、それぞれの限界がある。だからこそ、連携し、協力していくことが、とても重要なのです。
シンポジウムが官民合同(一部自主開催)で行われた理由のひとつは、それを自治体へ強く働きかけるためでした。実際に、シンポジウムを機に、対策が動き出した自治体も多くあります。
けれど、専門家やお役所の人たちががんばればいい、という話ではないのです。
遺族たちが生きていくのは、今私たちが生きている、この社会なのだから。
自死遺族だけじゃない。
たくさんの社会的弱者、痛みや悲しみを抱えた人たちが、そのままに受け容れられる社会。それはみんなにとって生きやすい、ひいては、痛ましい死に追い込まれる人の少ない社会であるはずなのです。
そして、そのために何をするべきかは、この社会に生きる私たちみんなが、問われています。
シンポジウムは、とても充実した内容で、移動その他でくたくただったのに、ずっと聞き入っていました。フィナーレではちょっとしたサプライズもあり、とても感動的でした。
私はちらちらと垣間見ただけだったけれど、関係者の方々の、文字通り身を削るような活動ぶり、勇気を出して声をあげた遺族の方々、関心を持ってくださった方々に、心からの敬意と感謝を捧げずにはいられません。
キャラバンは終わるけれど、すべては、これからはじまる。
それぞれの中で。ともに生きる、みんなの中で。
語れることはまだたくさんあるんですが・・・これで十分長いですね。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございましたm(_ _)m
気分爽快な多摩サイクリングロード。富士山が見えてます。
・・・を横目に土曜出勤orz
で、日曜日。
こんなところにいるワタシ。
いきなりですがここは大阪。向こう岸に大阪城ホールが見えてます。
朝から冷たい雨模様。昼前には本降りになりました。
空き時間でちょこっと見た、朝の大阪城は、たくさんの人出でした。
いやぁもう、寒かった~。
花見も観光もしてないし、大阪らしいものも何ひとつ食べずに帰ってきた(T_T)強行日程。
じゃあ何しに行ったのよ?長いしちょっとヘヴィなお話もありますが・・・
自死遺族支援全国キャラバンin大阪
自殺対策、特に今まで立ち遅れていた、自死遺族(自殺で大切な人を失った人をこう呼びます)への支援をテーマとした官民合同シンポジウムを、全都道府県で行うこのプロジェクトが、この3月30日の大阪でフィナーレを迎えました。
(自死遺族支援全国キャラバンについて、詳しくはNPO法人ライフリンクのHPにて)
去年の7月1日、東京ビッグサイトで行われた第1回、私は縁あって、ボランティアスタッフの一員として会場にいました。
今回は迷ってたんですが、活動の中で知り合った仲間の誘いもあって、急きょ大阪行きを決めました。
日本での年間の自殺者数、3万人以上(1998年より10年連続)。これは、東京マラソンの出走者にほぼ匹敵するそうです。
10年間での自殺者数、30万人以上。10年間で、地方の中規模な都市(東大の姜尚中教授は、三重県の津市に例えていました)ほどの人々が、自ら命を絶ったことになります。
ライフリンクの清水代表は、かつてはNHKのディレクターでした。その清水代表が撮った、東京マラソンの映像には、靖国通りを埋め尽くして走るランナーたちが、延々と写っていました。3万人が通過するのに、20分以上もかかったそうです。
「3万人」の存在感を、ずしりと感じました。
それぞれに、それぞれの人生が、生活があり、大切な人がいて・・・ごく当たり前に、同じ社会で生きていた、これだけたくさんの人たち。
ひとりの人が死んで、深刻な影響を受ける人が、およそ5人はいるといわれています。
単純計算で、年間15万人。10年間で、150万人。もっとさかのぼれば、その数は計り知れません。なのにその存在は、とても社会的に認知されていたとはいえません。
遺族たちが、必ずといっていいほど口にする言葉があるそうです。
「まさか」。
1年前に、10年前に、「まさか」自分が自殺する、または自死遺族となるとは、ほとんどの人は思っていなかったはず。
どうせなら目をそむけていたい。なのに、それがある日、自分にとっての現実となる。
私は、その現実を、約25年生きてきました。
シンポジウムでは、必ず、遺族の方の体験談が生で語られます。
家族を自殺で亡くした人たちは、死別の悲しみに加えて、なぜ止められなかったのかという自責の念、周囲の無理解や偏見に怯えるあまり、誰にも本当のことを言えずに孤立する傾向が強いといわれています。
私の家族も、家族どうしでさえその思いをわかちあうことなく、さらに大切な人を(自殺ではないのですが)失い、ばらばらになりました。
自殺が奪うのは、その人のいのちだけじゃない。
こんな思いを、もう他の誰かに、してほしくない。多くの遺族、そして私も、抱いている気持ちです。
その思いから、声をあげた遺族・遺児たちがいます。
民間で、ずっと自殺対策や遺族支援に取り組んできた人たちがいます。
一方で、2006年の自殺対策基本法を受け、国や行政もまた、それに取り組むことになりました。
どちらにも、それぞれの限界がある。だからこそ、連携し、協力していくことが、とても重要なのです。
シンポジウムが官民合同(一部自主開催)で行われた理由のひとつは、それを自治体へ強く働きかけるためでした。実際に、シンポジウムを機に、対策が動き出した自治体も多くあります。
けれど、専門家やお役所の人たちががんばればいい、という話ではないのです。
遺族たちが生きていくのは、今私たちが生きている、この社会なのだから。
自死遺族だけじゃない。
たくさんの社会的弱者、痛みや悲しみを抱えた人たちが、そのままに受け容れられる社会。それはみんなにとって生きやすい、ひいては、痛ましい死に追い込まれる人の少ない社会であるはずなのです。
そして、そのために何をするべきかは、この社会に生きる私たちみんなが、問われています。
シンポジウムは、とても充実した内容で、移動その他でくたくただったのに、ずっと聞き入っていました。フィナーレではちょっとしたサプライズもあり、とても感動的でした。
私はちらちらと垣間見ただけだったけれど、関係者の方々の、文字通り身を削るような活動ぶり、勇気を出して声をあげた遺族の方々、関心を持ってくださった方々に、心からの敬意と感謝を捧げずにはいられません。
キャラバンは終わるけれど、すべては、これからはじまる。
それぞれの中で。ともに生きる、みんなの中で。
語れることはまだたくさんあるんですが・・・これで十分長いですね。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございましたm(_ _)m
まだ寒い中お疲れ様でした。
by luces (2008-04-01 01:58)
しろのぽさん、遠い所お疲れさまでした。
「交通戦争」と言う言葉がありますね。年間の交通事故による死者が
1万人を超え、緊急の課題として行政、メーカー、そして民間が
ソフト・ハード両面から対策に取り組み、
十分とは言えないまでも一定の効果は上げています。
しかしその3倍の人が亡くなっている自殺に対しては
そこまでの取組みが為されているかどうか…疑問に思う所です。
しかも失踪者や行方不明者は数字に含まれていませんし。
特に鬱の問題は深刻だと思います。未だに単なる怠け病みたいに思われて
苦しんでいる人達がどれだけ沢山いる事か。
これだけ複雑でストレスの多い現代社会では、真面目で純粋な人ほど
その影響を受け易いでしょう。この国は、精神医学の分野でのケアが
現実からはるかに遅れているように思います。
>たくさんの社会的弱者、痛みや悲しみを抱えた人たちが、
>そのままに受け容れられる社会
そうですよね。シエルさんのブログの過去記事を読んでいて、
胸が痛くなる箇所がありました。ウチも家庭不和だったので。
結局母は何度か家出を繰り返した後、離婚しましたが。
「まさか」…8年前の3月、私もその事実に茫然としました。
(誤解無きよう書くと、母は今でも健在です)
ただ私の場合は状況が非常に複雑で、悲しみというより
一連の起きてしまった事の理不尽さが未だに自分の中で消化し切れずにいます。
DVや虐待、いじめ等で心に深い傷を負った人達が、
それ以上追い詰められる事が無く、自分を取り戻して強く生きて行ける社会。
いつかそんな社会が実現する事を願っています。
その為には何ができるか?…ですよね。
ネット上でも、あまりこう言った事を書く機会は無いのですが
この記事を拝見したのも何かの巡り合わせかと思いましたので…
長文失礼しました。m(__)m
by テトラ (2008-04-01 03:23)
おつかれさま。
いろんな体験が語られて、それが励みになって・・・・。
マスコミも全国発信して、国民にもこういう、会があったことを
知らしめてほしいと思います。
by ひろくるくる (2008-04-01 07:26)
今の社会の歪をみるにつけ、
余りにも巨大で複雑なそれに対しての無力感を感じます。でも、
こういうプロジェクトも小さな力が集まって大きくなっていくのだから、
私もまず身近でできる小さなことから始めていきます。
by olive (2008-04-01 09:11)
残された人たちも自責の念に苦しむという話を新聞で読んだことがあります。
日本人はそういう苦しみを自分の中に隠しがちだけど、人に話したり交流をもつことで精神的に救われ、また同じような境遇の人を救うこともできると思います。
だんだんとこうした活動が一般的になり良い意味でのオープンマインドが普通になったら素晴しいですね。
寒い中お疲れ様でした^^
by maki (2008-04-01 11:08)
こんにちは。
残された人たちはとても辛い思いをされているのに、
他の人のための活動をされていることに感じ入りました。
事故などだけでなく、最近は介護でも痛ましい事件を見ますね。
良い方向にしていかないと、ですね。
大阪城、朝なのに凄い人出?
大阪は「桜の通り抜け」の季節ですね。
by key-k (2008-04-01 12:10)
おつかれさまでした。
自死遺族の方々および自死せざるを得なかった方々に心から安らぎが得られんことをお祈りします。
by miyomiyo (2008-04-01 12:11)
コメントも長いです。語っちゃってます。すみません(^^;
lucesさん
出発が土曜の夜行バスだったので、薄着で行ってしまって・・・orz
カゼをひいてないのが不思議なくらいです(笑)
テトラさん
テトラさんとシエルさん、事情ありな方とお見受けはしていました。
現状をよくご存じですね。さらに今は、鬱対策だけではなく、その背景にあるさまざまな社会問題への施策が必要だという認識になっています。ですから、このキャラバンも、共催は内閣府です。
ウチも、家庭不和とDV(子供には及ばなかったのですが)が背景にありました。辛い思いをされたのでしょうが、お母様がご健在でよかったと心から思います。
私も、二重三重のアンビバレンスな感情にずっと振り回されています。一生消えることはない記憶と、共存して生きる道を探るしかないんだと思っています。
ひろくるさん
新聞やWEBでは報道されるのですが、扱いは小さいです。TVでは、NHKは枠を設けてくれますが、民放はほとんどアウトなようです。送り手だけではなく受け手、つまり社会の無関心もまた問題なんだと思います。
oliveさん
この問題に限らず、当事者が痛みをさらけ出して社会に訴えることで、それに応える人たちが現れ、事態が動き出すってことがありますよね。
その声を聞き漏らさないことも、私たちにできることなんではないかと思っています。
makiさん
私はまさにその「残された人」であるのですが、同じような境遇の人に出会うまで、20年近くかかりました。それでも、出会えただけ幸運とさえ言えます。
遺族支援の柱のひとつとして、「わかちあい」の場の提供があります。同じような境遇の人が、安心して語れる場で、思いを語り共有することで、孤立感から脱し、立ち直っていく・・・そんな場に、必要とする人がもっと確実にたどり着けるようにすることが、今の課題の一つです。
key-kさん
これに限らないと思うのですが、社会に向け活動している人のなかには、かなり高い割合で、その当事者がいます。というか、いなければ、何が必要かもわからないわけで・・・。そして、その声を届けるべく、たくさんの人たちが協力し、そのつながりが広がっています。
私は父の介護も経験していますが、介護共倒れは他人事とは思えないし、悲惨な結末には怒りすら感じます。
大阪城の写真は、朝8時ごろだと思います。結構な人ですよねー。いつかちゃんと観光&食いだおれに行きたい!!
miyomiyoさん
安らいだり、安らげなかったり・・・ごく当たり前に生きている人たちも、重荷や葛藤を抱えているんでしょうけどね。お互いが支えあえたら、もっと人々は安らげるんじゃないかと思います。
by しろのぽ (2008-04-01 15:08)
その言葉をテレビで見た(聞いた)ような気がします。
私はニュースはNHKなのでそこで聞いたのかも知れま
せんね。私にはそういう体験が無いですが、中2の時に
仲良しの友達のお父さんが突然の交通事故で亡くなった
と言う事がありました。クラス委員と先生がその子の家
に行ったのですが、私は仲良しだったと言う理由で同行
しました。何か一言言わなくちゃ・・・と考え抜いて
「頑張ってください」と言ったのを覚えています。
人だから前向きだったり後ろ向きだったり立ち直れたり
立ち直れなかったり色々です。でも、現状の数を聞くと
心が痛いですね。一人ではない・・・それが心に痛い
です。上手く言えなくてごめんなさい・・・。
by oko (2008-04-01 23:09)
okoさん
ラッキー7ゾロ目踏んでいただきました♪
ライフリンクの清水代表は、NHK時代に自死遺児についての番組やレポートを何本か作っているので、ご覧になっているかも。
たとえ、何かいいこと、役に立つことを言えなくたって、相手に寄り添おうとする気持ちが、大きな助けになると思います。お友達にも、きっと伝わっていたと思いますよ。
by しろのぽ (2008-04-01 23:28)
おつかれさまでした。
数年前、友人のお父様が病を苦に自らの命をたたれ、友人もお母様も立ち直るのにかなりの月日がかかりました。
誰もが家族を思い、その結果誰もが傷つくなんて、辛すぎますよね。
人はひとりでは生きていない。
いろんな意味で誰もがもっと実感できる世の中であって欲しいです。
by SAMEDI (2008-04-02 01:15)
身内で未遂者がいます。今ではすっかり元気ですが、やはり家族に落とされた陰は正直言って何年経っても消えないですね。
カウンセリングが一般的ではない日本で、こういった活動の主催、それをサポートする人たちのすべてに、niceを差し上げたい。
by pitts (2008-04-02 03:48)
私の周りには自殺をしてしまった人も、自死遺族の方もいないので、ニュースなどで見ても、どこか遠い世界のように感じていました。
(すみません)
「まさか」という言葉にドキっとしました。
たとえば明日、そういうことに遭遇してしまうかもしれない。
書いているうちに悲しくなりました。
でも・・・大阪に行って良かったですね。
そしていろいろ教えてくれてありがとうございます。
by リュカ (2008-04-02 13:10)
SAMEDIさん
病を抱える人も、それを支える人もとても苦しいものですが、あまりにも悲しい出来事でしたね。
ひとはひとりでは生きていない。そのはずなのになぜ、ひとりで苦しんでしまうひとが、あまりにも多いのか。何か大切なものを、思い出さなければいけないのかもしれませんね。
pittsさん
その方が今元気でいてよかった、と心から思います。
落ちた影は消えなくても、新しい光で照らすことはできると思うから。
活動する人たちだけでなく、自分のこととして考えてくださる人たちにも、niceを差し上げたいです。
リュカさん
当事者に近くない人が、現実味を持てないのは仕方ないですよね。
私も、問題が変わればそういう立場にあるわけだし・・・。
だからこそ、家族のことを隠さない、何かあれば発言する、と決めました。
誘ってくれた仲間には、とても感謝しています。
そして、リュカさんが、自分にも無関係でないこととして考えてくれたことに、心から感謝します。ありがとうございます。
摩亜さん、シエルさん、nice!ありがとうございます。
by しろのぽ (2008-04-02 17:17)
遺族の苦悩は
続くでしょうね。
それをなんとかしたい!
そして同じような境遇の人を作らない社会にしたいですね。
特に家族が「まさか」って思うのは当然だと思います。
家族にも打ち明けられないからそうなるのですからね。
こういったシンポジュウムでみんなが関心を持ってくれることは
良いことだと思いますよ。
by 響 (2008-04-05 17:04)
携帯から読ませていただいていました。
その後、色々考えてしまいコメントが遅くなりました。
近い人を病気で亡くしても、
あの時こうしていれば良かったと、
残された人は自分を責めたりするだろうに
自死遺族の方たちの、思いは・・・
同じ境遇の人と知り合ったり
シンポジウムが、他の人に知らせる場になるということは
大切なことですよね。
やっぱり月並みなことしか並べられなくてすみません。
しろのぽさんの記事やみなさんのコメント、
それに対するしろのぽさんのコメント、読ませていただきました。
by まみこ (2008-04-05 21:26)
響さん
大切な人を亡くせば、理由が何だろうと誰だって辛いものですよね。
家族にも?家族なのに。家族だから・・・?
終わることのない問いを、みな持っているんだろうと思います。
少しでも、関心を持っていただけていたら、うれしいです。
まみこさん
私は、家族が病で死ぬことも、自ら命を絶つことも、目の当たりにしましたが、それぞれにたくさん悔いを残しています。
同じ境遇の人と出会ったり、こうして発信することも、自分にとって大きな力になっています。
重い話だから、どうだろう・・・と少し不安もあっただけに、皆さんの真摯なコメントはとてもうれしかったです。
月並みかなんてことは、どうでもいいんだと思いますよ(^^
たくさん考えてくださった、そのことに、感謝します。ありがとうございます。
by しろのぽ (2008-04-05 21:50)
青空を背景に、軽い入りで、実はなかなかなかなか重い思いですね。
そうだな、いとこが1人死んでます。守ろうとしたものは守れなかった。
私も守りたいものはいくつかあるけど、順番に守れるものから守ろう。
余り背負わないです。しろのぽさんは割と背負ってたのですね。
by 春分 (2008-04-06 18:12)
こんばんは・・・出遅れご免なさい。
素晴らしい活動をなさっているのですね♪
格差社会が広がり、この国の政治は弱者に優しくない現実が一因にあるのではないでしょうか!?
スエーデンのように「ゆりかごから墓場まで」の手厚い社会保障制度がある国でも、自殺者が多いと聞きます。
何事も行き過ぎると生けないのでしょうが・・・これから日本は高齢化社会が進み、自殺者や介護疲れ・・・が心配になりますね。
それにしても、土曜出勤の明くる日に大阪とは!!!
いつもMy blog にご訪問、nice&コメントありがとうございます。
by あら!みてたのね (2008-04-07 01:19)
春分さん
のっけから重くてもなぁ・・・って思って前フリつけちゃいました(^^;
身近な方にいらしたんですね。
自分以外の守るものがある、と言える人をうらやましく思えます。
そして、背負ってないってどういうことなのかが、もうわからないです。
守ると背負う、似てるようで全く違いますよね。
あら!みてたのねさん
いえいえ、お忙しいところありがとうございます。
私はちょこっと見に行っているようなもので、現場の最前線にいる方々は、それじゃあなたが過労死しちゃうよ、というくらいハードに活動しています。
日本の自殺率は、先進国のなかではトップクラスで高く、対策は最も遅れているといわれます。
いつからこの国は、生きていけないなら死んでいいよ、という国になったのか・・・
明くる日、というか土曜の深夜バスに乗ったんですよ(^^
先週いっぱいはもうくたくたなまんまでした(笑)
by しろのぽ (2008-04-07 01:34)