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聞こえない声を聞くために [つれづれ]

9/14、朝@東京ビッグサイト。
まだイベントの開場前だけど、すでに向かう人は多く、電車は立ちっぱなし・・・orz

GEISAIの入場待ちも並んでる~。

並んでますね.jpg


今日来たのは、これのため。
第4回「WHO世界自殺予防デー」シンポジウム 緊急報告 「自殺実態白書」から見えてきたこと

9月10日~16日は、「自殺予防週間」。
期間中の日曜日に、NPO法人ライフリンクが中心になってまとめた「自殺実態白書」を受け、開催されたシンポジウムです。
縁あってちょこっとお手伝いに行くことができました。
1年ちょっと前に同じ場所で行われた官民合同シンポジウムにも、私は同じように参加していました。


2006年に「自殺対策基本法」が成立し、2007年には「自殺総合対策大綱」が策定され、自殺対策は国の責務として行われることになりました。
官民ともに、自殺対策、遺族支援への取り組みが始まり、また進行している・・・はずなのです。

なのに、自殺は減る気配を見せない。
日本では、もう10年間にわたって、毎年3万人以上もの人々が、自ら命を絶っている。
一見豊かなこの国で、なぜ?


とりあえずの役目を終えて、私が会場に入ったのは、遺族の方の体験談が終盤に入るころでした。
そのあとのパネルディスカッションでは、自殺を社会的な死と捉えた上で、なぜこの社会は、困窮する人にとって支えのない社会になってしまったのか、新しいセーフティネットをどう作るのか、といった話題がメインとなりました。


実は、今まで、自殺の詳しい実態がきちんと調査されることはありませんでした。
自殺が減らない、と言葉では言いながら、その対策に必要な実態調査は、結局この「自殺実態白書」まで、ほとんどなされていない、という情けない状況だったのです。

なぜ、どんな経路で、人々は死に追い込まれていくのか。
どこで、どんな人が、どれほど亡くなっているのか。
社会のあり方と、どんな関わりがあるのか。
遺された人々は、どれほどいるのか、どんな困難を抱えているのか。

各種のデータを収集して解析し、また300人を越える遺族(目標は1000人で、現在調査継続中)への聞き取り調査を行って、まとめられた「自殺実態白書」は、PDFファイルで公開されています。また、冊子を入手することもできます。→こちら
「“1000人の声なき声”に耳を傾ける調査」 については→こちら


登壇した宮台真司さん(首都大学東京教授)は、あえてこう発言しました。
どうして、経済的に困窮した程度のことで、死ななければいけない(社会である)のか

誰だって、病気になったり、失業したり、それを発端に経済的に困窮したり、家庭の危機にさらされたりする可能性がある。
けれど、一度何かの危機に陥ると、救いの手もなく、ただ追い込まれていくような社会が、人々にとって生きやすいと言えるだろうか。
また、多くの自死遺族、それだけでなく痛みを負った人たちが、辛い思いを誰にも言えないどころか、周囲からの言葉や態度に傷つき、孤立していくような社会が、人々にやさしいと言えるだろうか。

たくさんのデータが語るもの。聞き取り調査に参加した遺族たちの声。そこから浮かび上がる、亡くなっていった人たちの声。耳に直接聞こえなくても、確かにこの社会に、人々に、問いかけています。
この白書を受け、具体的な対策に動き出した自治体もあること、
官民双方で、様々な立場の人たちの活動の輪が、広がりつつあることも、報告されました。

最後は、去年ここで自らの体験を語った大学生の女の子が、これからへ向けたメッセージを読み上げて、シンポジウムは終了しました。


まだ、始まったばかりです。
大きな犠牲を払いながら。今この時にも、死へと追い込まれていく人がいると知りながら。

大切な人を喪った痛みとともに、その悔しさは忘れない。


帰り道.jpg

帰りに中秋の名月を見ながら、ダンゴくらい作ってみたかったけどな・・・と思ったりして。
そんな、なんでもない日常を生きている、なんでもない自分。
特別なものなんて何もない。だからこそ、伝えられることがあるんじゃないかとも、今は思う。
ちっぽけな声でもね。


今回も長いっすね・・・ここまで読んでくださった方、ありがとうございましたm(_ _)m
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コメント 22

oko

自ら命を断つ人は、それだけの大きさの何か負う物が
あるのでしょうね・・・・
いやだいやだ・・・以上のもの・・最後は誰にも相談
出来ず自分で幕引きをするしかない大きな物がのしかか
ってその道へと行くんだと思います。その前に、悲しむ
人のことを考えて立ち直れたら・・・なんて深い悲しみの
無い私には切羽詰まった人の気持ちなんてわからないと
思うのだけど、のしかかる大きさがはね除けられるうちに
言葉と言うコミニュケーションツールを使って生きる道が
繋がれば良いのに・・それしか私には言えません。
バカなくせに変なコメントでごめんなさいでした・・・
by oko (2008-09-18 06:23) 

piyoko

同じような悩みを抱えても、
生き続けられる人、命を絶つ人、他人を殺す人に別れてしまう不思議。
本当に辛いときに命の行方を考えてしまうのは人間だけなんでしょうね。
by piyoko (2008-09-18 14:10) 

はにぃ

教え子が自殺した時には かなり参ります。

夜間定時で 生きている方がツライ現実を 目の前で何度も見てきた。
死んでもいいよ だなんて 口が裂けてもいえない。
だけど 生きていくのがツライ このコたちに
私は教師として 何をいえば良いのだろう。

一生かけて考えること です。
by はにぃ (2008-09-18 14:32) 

ひろくるくる

父親の死から、よりいっそう死への思いが
あります。

よく、死ねという人いますが、聞き捨てなりません。
by ひろくるくる (2008-09-18 15:21) 

olive

子供の自殺も物凄く辛い。
なぜ?という疑問に本当に答えられる人はもういないから、
どうしたら、もう二度とこういうことが起きないようにできるのか
憶測の中で傷つきながら手探りするしかない。
無力感を感じながらも、私も出来る事を考えます。

by olive (2008-09-18 15:21) 

摩亜

難しい問題だと思います。
みんながみんな、強く生きられるワケじゃない。
死ぬ勇気も無いから、生きながらえてる人も居る。
社会は弱者をいじめるだけで、何をしてくれるのかと思う。
明日に希望が持てない孤独な人が、何かを引き金に命を落としてしまう。
生きているのが辛いという人に、何を言えばいいんだろう?
by 摩亜 (2008-09-18 20:16) 

リュカ

毎年3万人以上ってのは驚きです。
思い詰めて、追い詰められて命を絶つ人。
その実態をちゃんと知らないと!ってのは当然ですよね(TT)
宮台真司氏の言葉は、胸に響きます。


by リュカ (2008-09-18 21:17) 

しろのぽ

今回は重い(しかも長い)内容で、読んでくださった方も大変だったかと思いますm(_ _)m

nice!を下さった方、コメントくださった方、直接メッセージをくださった方、言葉にせずとも何かを思ってくださった方・・・みなさんに、ありがとうを。


okoさん

追い込まれた人って、誰かに相談する力も失っていたりするんです。
そうなる前に、できる限りの助けが得られるようなしくみが必要なんだと思います。
悲しむ人のことを・・・とはよく言うのだけど、家族や我が子の顔を見た数分後に、命を絶つ人もいます。
それでも、支える術は言葉を通じて伝えるしかないんですよね。
今回も、たくさん考えてくださったことが、とてもうれしかったです。


piyokoさん

何が生死を分けるのか、全くわからないです。
「自分は絶対死なない」と言っていながら電車に飛び込んだ人の、奥さんと話したことがあります。
何か人の意思を超えた力が働いたとしか思えない、と悔しそうでした。
生き抜くための強い意思も、持ちうる生き物であるはずなんですけどね・・・


はにぃさん

教師として、人としても、いちばん辛いことのひとつでしょうね・・・

少しでもその子たちに寄り添いたい、それだけに言葉がない、そんな辛さを感じました。
生きていればいいこともある、なんて言う人もいるけれど、そんな言葉は無責任な励ましとしか私は思えません。

私は、すぐそこにいながら、大切な人が命を絶つのを止められなかった。
でも気付いていたとして、いったいどうすればよかっただろう。
その答えも、一生出ないでしょう。


ひろくるさん

人の死に接すると、「死」をリアルに感じるようになりますよね。
私は10代からそれを感じてきたけれど、感じずにすんでいる人たちとのズレに苦しむこともありました。

人の命や死を軽々しく扱う物言いをする人がいますね。
幸いにして出会ったことはありませんが、もし目の前にいたら殴るんじゃないか、というくらいの憤りを感じます。


oliveさん

子供って、自分が生きることに疑いをもつような存在ではないはずなのに、と思っていました。
でもそれが、能天気な思い込みであることも知りました。
大人たちの抱える歪みを、子供たちもまた背負ってしまっているように思えます。
思うほどに出口が遠ざかるような無力感がありますが・・・あきらめてはいけないですよね。


摩亜さん

弱いものをも抱え込める強度こそが、本当の強さだと思うんですが、「強さ」の意味が、この社会ではどうも変わってしまっているのではないか?とも思ってます。
死にたいという人の電話相談を受けるための研修に、参加している仲間もいます。
まずとにかく話を聞く、そしてその人の友達、味方になる、ということが基本だそうです。


リュカさん

日本では交通事故により命を落とす人より、自ら命を絶つ人が多い、という事態は、10年以上続いています。
けれど、そのことはなぜか知られずにきたし、知らない人が多いと思います。
やっと行われた実態調査も民間主導で、というのも、実は情けない事態ですよね。
宮台真司さんは、あえて挑発的にあの言葉を発したのだそうです。しかも何度も。
そこから討論が広がっていく感がありました。

by しろのぽ (2008-09-19 01:17) 

hoshizou

人間は、とことん追い込まれると、正常な判断ができなくなります。

大学2年の夏の合宿、(2年生は下級生)の時、それは起きました。
私の大学は宮城県でしたが、合宿は岩手県で行います。
理由は、下級生が逃げないようにと、上級生にとって先輩にあたるOBが
簡単に来れないようにするためです。

猛烈な練習とシゴキ、今なら、きっと傷害事件でしょうが、そのころの
体育会は当たり前。根性と気合の世界です。
練習で2年生の意識がなくなり、救急車。頭をぶつけたとかいう、
事故じゃないです。
同じ動作を永遠に、1000回も2000回もやらされることで、疲労と筋肉が
徐々に引き裂かれていきます。地獄を味わった上での意識不明。
その後また、別の下級生が痙攣初めて、また救急車を呼ぶと
問題になるので、タクシーで運び、入院。
その夜、何人かが、ジャージと財布だけを持って逃走。
残った下級生は、団結力が足りないだとか、共同責任とか言われて、
正座させられ、なぐられて・・・・
そんな日が続き、午前中の練習が終わり、先輩のジュースを買いに生かされる道で、同輩と思ったのが、、
『もし、この車にはねられたら、入院できるので、合宿から開放される』

今考えれば、命にかかわることだし、とんでもないことなんだけど、
そのときは、本気で思ってた。

こわいよね。
人間追い込まれると、本当に正常な思考が旗らなく、衝動的に
恐ろしいこと考えるのだろうな。

追い込まれる前に、オレ様が話をきこうじゃないかっ。
そんなフランキーのような男に、私はなりたい。
by hoshizou (2008-09-19 02:28) 

key-k

こんばんは。
自殺してしまう状況には誰にでもなる可能性があるんだなあと。
怖いことです。

上手く書けませんが、自分がたとえその経験をしていなくても
実態や、社会的にどういう取組みがされているのを、
まず、皆が知るだけでも違ってくるのかなあと感じました。
by key-k (2008-09-19 04:27) 

響

自殺は逃げだと言ってしまいますが
やはりそれ相応の事態がのしかかってのことなのでしょうね。
やはり社会そのものがこういった事態を生み出しているのかもしれません。
なかなか有意義なイベントにかかわってますね。
先日、研修のついでに?東尋坊に行って花束を見たばかりなので
リアルな話でした。
by (2008-09-19 07:55) 

桜♪

難しいです 安易に答えは出せない問題だと想う
「どんなに小さな 生き物にも 産まれてきた理由があり 生きる理由がある 食べ物として産まれてくるものもいるだろう 皆 何かに生かされている 生きている 存在する意味があるんだよ」って チャットで知り合った 若者に 何度言い続けたか・・・しかし 「自分はなんの役に立つの?なんの意味があるの?」と問われても 答えられない それは 人が天寿を全う出来たときに 始めて知ることだから。

みずから命を絶つことも その人に与えられた天寿なのだろうか?

by 桜♪ (2008-09-19 09:37) 

SAMEDI

死を選ぶ人が100人いたら答えは100個あると思うんです。
そういう意味では「こうしたらいい」という答えは出ないものでしょう。
今の社会の状況からいえば、人はもっと、自分以外の人に関心をもつべきなんじゃないかと思います。そうすることで、せめて死にたくなかったけど死を選ばなくてはいけなかった(いけないと思い込んだ)人たちぐらいは救える手立てがみつかる、または救われることに自ら気付けるんではないかな、と。
理想論ですが、自殺者を引き止める社会ではなく、自殺を思いつかない心が育まれることが大切な気がします。
by SAMEDI (2008-09-19 12:43) 

しろのぽ

hoshizouさん

誰も亡くならなかったことが、何よりもの救いでしたね。

息子さんを職場のパワハラが原因で亡くされた方の手記を思い出しました。
最近では、相撲部屋でも異常なシゴキによる傷害致死事件がありましたね。
軍隊や学校でのいじめも、根は同じようなところにあると思います。
追い込まれるほうも正常な判断力を失いますが、追い込んでいるほうもまたそうなのでしょう。

逃げるが勝ち、って時には正しいと思います。


key-kさん

最初はどこにでもある危機だったりもするんですよね。

その当事者ではなくても、社会に対して問題意識を持って取り組んでいる方はたくさんいます。
官僚の縦割り意識や、政治や福祉の貧困も大きな壁ですが、自殺問題に関しては、人々の見て見ぬ振りがもっと大きな壁になっている気がします。ニュースに目を留めるところからでも、気にしていただけたらなぁ、と思います。


響さん

死以外の何かに逃げることができれば、助かった人もたくさんいると思います。
確かに死は個人的なものですが、もし社会がそれ以上の要因を作っているなら、それをできる限り取り除くのも社会の役目でしょう。
そこで命を絶った人がいるという事実、供えられた花束が、語るものは大きかったのではないでしょうか・・・
東尋坊で、自殺しようとする方に思いとどまってもらう活動をしている人もいますが、かなり重い体験をなさっているようです。


桜♪さん

そうですね。
自分の生きている意味が、そう簡単にわかる必要はないと今は思うんですが、求めてしまう人の気持ちもわかります。
桜♪さんが言い続けたことが、その若者の中で、自分の一部になっていたら、今は少し楽に生きているのではないか、という気がします。

みずから命を絶ったのに天寿なんて思いたくない、と遺された者の多くは思っているでしょう。
でも本当のことは、誰にもわからないのかもしれません。


SAMEDIさん

うんうん、そうなんです。
自殺をゼロにすることなんて、現実的には不可能だということは、みんなわかっています。
けれど防げた死もあるはずなら、少しでも多くの人に生き続けてほしい、という願いがあります。
そのための手立ては色々と必要だけど、最後にそれをなすのは、人どうしのつながりですよね。
>自殺者を引き止める社会ではなく~
心から同意します。それを育む鍵もまた、人どうしのつながりのなかにある、という気がします。
by しろのぽ (2008-09-19 22:16) 

miyomiyo

真剣に考えてたら出遅れましたm(__)m

生き物には生まれた瞬間、既に死という時がいつかは来る事になっています。

植物も発芽するしないかで土に還ってしまったり、
縄文杉のように3000年以上生きていたりと様々です。
もっとも、植物は自らの意志で生を絶つことはありません。

日本は世界で屈指の高率なんだそうです。
せめて、自らで生を絶つような事態にならないよう、
せめて、自分の周りで起きないようにケアするだけです。
by miyomiyo (2008-09-19 23:52) 

T2

「どんな経路で、人々は死に追い込まれていくのか」
実は、つい最近 知っている人が自殺しました
人生のつらい時期から、2度ほど這い上がってきた人でした
年は50前、最近は病気と事業の借金もかさんでいたそうです。
それでも、彼のそれまでのバイタリティから
しぶとく、なんとかしていくのかなと思っていました
その理由は本人にしか、いや本人にもわからないかもしれません
だからこそ、自殺の実態を明らかにすることは大事だと思います

by T2 (2008-09-20 00:06) 

春分

それぞれに違う背景があるのだろうと思います。
日本の自殺が多いのは「社会の役に立たないなら生きてはいけない」という
価値観があるからではないかな。それは文化に深く根ざしていて。
「社会」とか「役にたつ」というのは複雑でいろんな解釈があるはずですが。
どこかでそれを信じているかもしれないので、私も将来死を選ぶかもしれないな。
by 春分 (2008-09-20 12:05) 

しろのぽ

miyomiyoさん

そうなんですよね、生まれたらあとは死ぬまで生きる。
それは動物も植物も同じですね。

日本の自殺率は、先進国どころか世界的にも高く、こんな状態で先進国を名乗れるのか、という言葉さえ出ていました。

政府が動けばそれでいいというものではなく、人々が自分や他人の危機に気付いて対処することが、とても大事だと思います。そのためには、たとえ見ていて心地よいものでなくても、もっと実態を知っている必要があるはずです。


T2さん

普通に考えたら、まだ亡くなるとは思えない年齢ですよね・・・驚いたことと思います。
一度は危機を乗り越えても、二度三度と乗り越えられるかといえば、そうでもありませんしね。
病気と経済的な危機は比較的リンクしやすいようですが、そこからさらに追い込んだ要因があったのかもしれません。
今はただ、ご冥福をお祈りいたします。
遺されたご家族もいられるでしょうから、そちらのケアも必要かもしれませんね。


春分さん

韓国では、日本よりもっと深刻な事態になっているそうです。
どこか、似ている価値観があるようです。

私は、自分が死んだら悲しむ人はいても、ずっと覚えている人はいないだろうから、生きていなくてもいいよね、と思っていたことがあります。
「覚えていてほしいの?」という知人の言葉にはっとしました。
自分の価値を、他人や社会に預けちゃいけない。そう言われた気がしました。
社会の役に立つ・立たないという価値観があるなら、そこに通じるものがあるように思えます。
by しろのぽ (2008-09-21 00:46) 

まみこ

ちゃんと参加なさっているしろのぽさんは
誠実に向き合っていらっしゃるのでしょうね。

まだ、乗り越えられない人の声を聞くことのできる人なのだろうなあ・・・

私の仕事、きっとこれから先も公表することはないと思いますが
今の部署は、死に立ち向かう人に携わる仕事です。
私にできることなんて、微々たるものなのだけれど
明日もがんばります。

by まみこ (2008-09-21 17:00) 

しろのぽ

まみこさん

いえいえ、いつも自分のことだけで精一杯ですよ(笑)。
ただ、当事者のひとりとして、できる限りのことはしたいと思ってます。

まみこさんの文章からは、いつも誠実さが伝わってきます。
きっと、お仕事の中でもそれが届いていると思います。

できることはほんのちょっとかもしれない、けれどがんばりましょうね。
by しろのぽ (2008-09-21 23:44) 

teru

聞こえない声を聞くために・・・。
そーですね。
ちゃんと聞こうとすれば聞こえるはずなんですよね。
でも、その時は聞こえなかったんだよね・・・。


by teru (2008-09-22 12:42) 

しろのぽ

teruさん

聞こえなかった、というよりは、聞こえないふりをしていた、それとも耳をふさいでいたのかもね。
聞きたくないから。聞くのが怖いから。
けれど、その声の主を失ったら、後悔しない・・・?

世界中のいろんな声を、もっと聞いていないといけないよね。
by しろのぽ (2008-09-23 18:57) 

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