これからも、北へ。 [大地震、それからの日々]
明日の空がどんな色でも。
またしても唐桑へ行ってまいりました。
10月7日夜に出発し、8、9の2日間現地で活動し、10日に帰宅。
もう平日休めない身分なので、今年最後の三連休を目一杯使いました。
8日は、唐桑を飛び出して気仙沼市街地へ。
気仙沼新中央商店街の復興音楽祭におじゃましました。
テント設営、お店の手伝いなど・・・でしたが、なんかお祭を見に行ったって雰囲気が(笑)
東舞根で塹壕土掘ってた皆さんごめんなさい(^^;
震災でお店を失った飲食店の皆さんが、仮設店舗に共同でお店を出して始める、新しい商店街。
その景気付けのためのイベントです。
神戸岡本商店街からの応援も。
ネットで情報発信しよう!と、ツイッターのアカウントを作るお手伝いをしていました。
地元のみなさんの和太鼓やパフォーマンス、ライヴなど。
ワタシは、ぼんやりとカレンダーやら使い捨てカイロやらを配ってました。
カレンダーは「今年の」です。
仮設住宅に住んでいる方は、家財を失って、カレンダーがないことも多いのです。
夏場の仮設入居時に配ったら、飛ぶようにはけたのだとか。さすがに今回は、それほどでもなかったのですが(^^;
使い捨てカイロは、「寒いから助かるわ」と持って行く年配女性が多数。
貼るタイプがなぜか人気。
この日、3歳の娘さんを連れてボランティア活動に参加していたご夫婦がいました。
娘のりのちゃんは、あちらこちらで遊んでもらっていました(笑)
ライブを披露した歌手のyukkyさんとも記念撮影。
りのちゃんは、地元の子供たちとすっかり仲良くなり、なかなか帰りたがらなかったそうです。
子供たち「りのちゃん、お手紙書くよ。でも読めるかな」
お父さん「僕が読んであげるから大丈夫。お手紙待ってるね」
そんな一場面もありました。
出し物の間に、お店で飲食物を買ってもらおうという進行なのですが、待ち時間が長くて、夕方までかかる長丁場(^^;
ホヤボーヤくんが、暮れかけた空に浮かんでます。
ラストのビンゴ大会には立ち会えなかったけど、これを待っている方がたくさんいました。
景品に石油ストーブがあるのが、現地の事情を物語ります・・・
9日は、藤浜の建設現場でお手伝い。
宮城大学の竹内准教授が中心となり、震災で失われた番屋を建設する「番屋プロジェクト」のうちの一軒。
番屋とは、漁師さんたちが話し合いなどを行う小屋のこと。
宮城大学を中心に、学生が全国からボランティアで集まって作られています。
朝はまだこんな状態でした。
新しい番屋は、前回漁師さんたちとバーベキューをした、壊れた建物のあった敷地に建てています。
海に浮かぶいかだは、8月下旬に広島からの支援で作られたもの。
資材が残っているので、まだまだ増えるそうです。
これ、何でしょう?
いかだやはえなわのアンカー(おもり)にするコンクリートブロックです。
古タイヤにこんな再利用法があったとは!
さて、番屋ですが、夕方にはこれだけできました。
建築科の学生を中心に結成されたボランティアのチームは、ひたむきな作業ぶりがとても印象的でした。
とはいえ、普段は机上での学習が主なので、現場作業には苦戦することもあるそうです。
地元の業者さんと協力して作業をしています。
進行はかなり遅れ気味・・・
学生たちはこの翌日にいったん引き揚げたあと、週末などを使って現場に入り、仕上げるそうです。
漁師さんたちが、学生をねぎらうバーベキュー会を開いてくださいました。
まさかこんな立派な番屋が建つとは、と恐縮しながらも、あらためて復興を誓う漁師さんたち。
番屋は、カキ小屋として使う構想もあるのだとか。収穫が楽しみ!
短い日程でばたばたと訪問した、今回の唐桑。
それでも、これからの生活を立て直していこうとする姿に接することができて、心強い思いがしました。
帰りに寄った、陸前高田の街。
実は、8月の帰りにも寄っていますが、あまり大きく風景が変わった感じはしませんでした。
地面には、生活用品や帳簿やアルバムなどが散らばり、風雨にさらされています。
ここで何があったの。ここにいた人たちは、どこへ行ったの。
走る車の中から、海沿いの景色を必死に見つめ、6年前に見た風景の面影を探しました。
あの美しい松原は海に沈み、跡形もありません。
一本だけ残った松のそばに、無残に崩れた陸前高田ユースホステルの建物が見えました。
・・・
帰りの車の中、仲間たちはみな、次はいつ来ようかと考えていました。
一度現地に行くと、また行かずにはいられなくなる。
褒められるとか、感謝されるとか、そんなことはどうだっていい。
行きたいから行く。
唐桑で出会った仲間たちは、口を揃えてそう言います。
ワタシも同じ気持ちです。
これから、東北には長くて寒い冬がやってきます。
特に仮設住宅の寒さ対策は、緊急の課題となっています(実際に見ると、壁の薄さにびっくりします)。
そして、家や家族、これまでの人間関係を失った人たちが、初めて過ごす年末年始。震災から1年の節目。
いったいどんな思いで迎えるのだろうと思うと、胸が痛みます。
心を支えるための支援も、まだまだ続いていくでしょう。
三陸、そして唐桑への思いは、現地へ行けなくても、ずっと続いています。
何かできることがあれば、関わっていきたいです。
〈おまけ〉
今回のおいしいもの!
前回も行った、気仙沼市内のお寿司屋さん。
おすすめの「サンマ太巻き」です。
焼いたサンマの巻かれたビジュアルが豪快!
一緒に巻かれた薬味やごまも効いていて、おいしかった
そんなわけで慌しかった10月上旬ですが、ようやく落ち着いてきました。
いい加減狼少年にならないように(笑)ブログにも戻ってきまーす( ̄▽ ̄;)ホント!?
またしても唐桑へ行ってまいりました。
10月7日夜に出発し、8、9の2日間現地で活動し、10日に帰宅。
もう平日休めない身分なので、今年最後の三連休を目一杯使いました。
8日は、唐桑を飛び出して気仙沼市街地へ。
気仙沼新中央商店街の復興音楽祭におじゃましました。
テント設営、お店の手伝いなど・・・でしたが、なんかお祭を見に行ったって雰囲気が(笑)
東舞根で
震災でお店を失った飲食店の皆さんが、仮設店舗に共同でお店を出して始める、新しい商店街。
その景気付けのためのイベントです。
神戸岡本商店街からの応援も。
ネットで情報発信しよう!と、ツイッターのアカウントを作るお手伝いをしていました。
地元のみなさんの和太鼓やパフォーマンス、ライヴなど。
ワタシは、ぼんやりとカレンダーやら使い捨てカイロやらを配ってました。
カレンダーは「今年の」です。
仮設住宅に住んでいる方は、家財を失って、カレンダーがないことも多いのです。
夏場の仮設入居時に配ったら、飛ぶようにはけたのだとか。さすがに今回は、それほどでもなかったのですが(^^;
使い捨てカイロは、「寒いから助かるわ」と持って行く年配女性が多数。
貼るタイプがなぜか人気。
この日、3歳の娘さんを連れてボランティア活動に参加していたご夫婦がいました。
娘のりのちゃんは、あちらこちらで遊んでもらっていました(笑)
ライブを披露した歌手のyukkyさんとも記念撮影。
りのちゃんは、地元の子供たちとすっかり仲良くなり、なかなか帰りたがらなかったそうです。
子供たち「りのちゃん、お手紙書くよ。でも読めるかな」
お父さん「僕が読んであげるから大丈夫。お手紙待ってるね」
そんな一場面もありました。
出し物の間に、お店で飲食物を買ってもらおうという進行なのですが、待ち時間が長くて、夕方までかかる長丁場(^^;
ホヤボーヤくんが、暮れかけた空に浮かんでます。
ラストのビンゴ大会には立ち会えなかったけど、これを待っている方がたくさんいました。
景品に石油ストーブがあるのが、現地の事情を物語ります・・・
9日は、藤浜の建設現場でお手伝い。
宮城大学の竹内准教授が中心となり、震災で失われた番屋を建設する「番屋プロジェクト」のうちの一軒。
番屋とは、漁師さんたちが話し合いなどを行う小屋のこと。
宮城大学を中心に、学生が全国からボランティアで集まって作られています。
朝はまだこんな状態でした。
新しい番屋は、前回漁師さんたちとバーベキューをした、壊れた建物のあった敷地に建てています。
海に浮かぶいかだは、8月下旬に広島からの支援で作られたもの。
資材が残っているので、まだまだ増えるそうです。
これ、何でしょう?
いかだやはえなわのアンカー(おもり)にするコンクリートブロックです。
古タイヤにこんな再利用法があったとは!
さて、番屋ですが、夕方にはこれだけできました。
建築科の学生を中心に結成されたボランティアのチームは、ひたむきな作業ぶりがとても印象的でした。
とはいえ、普段は机上での学習が主なので、現場作業には苦戦することもあるそうです。
地元の業者さんと協力して作業をしています。
進行はかなり遅れ気味・・・
学生たちはこの翌日にいったん引き揚げたあと、週末などを使って現場に入り、仕上げるそうです。
漁師さんたちが、学生をねぎらうバーベキュー会を開いてくださいました。
まさかこんな立派な番屋が建つとは、と恐縮しながらも、あらためて復興を誓う漁師さんたち。
番屋は、カキ小屋として使う構想もあるのだとか。収穫が楽しみ!
短い日程でばたばたと訪問した、今回の唐桑。
それでも、これからの生活を立て直していこうとする姿に接することができて、心強い思いがしました。
帰りに寄った、陸前高田の街。
実は、8月の帰りにも寄っていますが、あまり大きく風景が変わった感じはしませんでした。
地面には、生活用品や帳簿やアルバムなどが散らばり、風雨にさらされています。
ここで何があったの。ここにいた人たちは、どこへ行ったの。
走る車の中から、海沿いの景色を必死に見つめ、6年前に見た風景の面影を探しました。
あの美しい松原は海に沈み、跡形もありません。
一本だけ残った松のそばに、無残に崩れた陸前高田ユースホステルの建物が見えました。
・・・
帰りの車の中、仲間たちはみな、次はいつ来ようかと考えていました。
一度現地に行くと、また行かずにはいられなくなる。
褒められるとか、感謝されるとか、そんなことはどうだっていい。
行きたいから行く。
唐桑で出会った仲間たちは、口を揃えてそう言います。
ワタシも同じ気持ちです。
これから、東北には長くて寒い冬がやってきます。
特に仮設住宅の寒さ対策は、緊急の課題となっています(実際に見ると、壁の薄さにびっくりします)。
そして、家や家族、これまでの人間関係を失った人たちが、初めて過ごす年末年始。震災から1年の節目。
いったいどんな思いで迎えるのだろうと思うと、胸が痛みます。
心を支えるための支援も、まだまだ続いていくでしょう。
三陸、そして唐桑への思いは、現地へ行けなくても、ずっと続いています。
何かできることがあれば、関わっていきたいです。
〈おまけ〉
今回のおいしいもの!
前回も行った、気仙沼市内のお寿司屋さん。
おすすめの「サンマ太巻き」です。
焼いたサンマの巻かれたビジュアルが豪快!
一緒に巻かれた薬味やごまも効いていて、おいしかった
そんなわけで慌しかった10月上旬ですが、ようやく落ち着いてきました。
いい加減狼少年にならないように(笑)ブログにも戻ってきまーす( ̄▽ ̄;)ホント!?
2011-10-15 19:04
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コメント(14)
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こんにちは。
本当にお疲れ様でした。
少しずつでも、復興して居る様ですね。
これから厳しい冬が来ると思うと、更に大変さが増すと言うか、支援は続けて行かないと。
by HIRO (2011-10-15 20:08)
復興の状況が垣間見れて良かったです。
まだまだ、道のりは長い。。。
by key-k (2011-10-16 09:55)
りのちゃん可愛らしいですね。良い思い出になったかな。
学生さん達の活躍も素晴らしいと思います。
サンマの頭とシッポが豪快!
by luces (2011-10-16 19:03)
お疲れ様です。
ホントこれから寒くなるので、いろいろ心配。
まだまだ風景は元通りには程遠いんだね・・・。
さんまのシッポと頭、すごい迫力だ!
by にこちゃん (2011-10-16 21:32)
頭が下がります・・お疲れ様でした
by tansta (2011-10-16 23:19)
お疲れさまでした。
テレビの中だけでは風化してゆく感じの被災地ですが、
まだまだ色々な事が途中なのですね。
これから寒い冬がやって来ます。カイロ・・・日々使うもの
なのでほんとうに嬉しかったでしょうね・・・
しろのぽさんもお忙しそう・・・季節の変わり目なので
体調など崩されません様・・
by oko (2011-10-17 05:12)
石巻までは行きましたが、唐桑までは足を伸ばしていません。
もし、唐桑のことが気になりましたら、言ってください。
なかなか行けないしのろぽさんの代わりに、行きますよ。
ボランティアまではできませんが、指定された場所を見て、写真をとっておくります。
by hoshizou (2011-10-17 07:23)
HIROさん
やっと、前を向けるようになった人がいる・・・というところでしょうか。
寒さそのものへの対策、閉じこもりになりがちな冬の前に、住民同士の交流を深めておくこと、生活の再建・・・
まだまだ課題は山積みだと思います。
key-kさん
あと何年かかるかわからないけれど、そのための一歩を踏み出し始めた、そんな場面を見ることができました。
でも、何もなくなった広い市街地を見ると、道のりの長さを思ってしまいます・・・
lucesさん
りのちゃんは、あちこちで人気者だったようです。
たとえこの時のことを覚えていなくても、りのちゃんの中に残っていくものがあると思います。
お手紙届いたかな。
サンマの巻き寿司の盛り付けには、一同歓声が上がりました(^^
にこちゃんさん
三陸は雪は少ないけれど、気温は普通に氷点下になるそうです。
とにかく、早く仮設を暖かくしてあげて!と思います。
市街地はまだ、壊れた建物や瓦礫の山が残っていて、再建の日はとても見えません。
やはりさんまの頭としっぽが、この巻き寿司のポイントかも!
ちょっと刺してあるだけなので、簡単に取れます(笑)
tanstaさん
いえいえ、なんかもう、行きたくて行ってるんですよ。
唐桑に「帰る」って言う人もいるくらいで(笑)
ワタシが出会ったのは唐桑だったけれど、そんな出会いが各地にたくさんあるといいと思います。
okoさん
仮設への入居が進み、市街地の建物も撤去が進んだ今だからこそ、考えなければいけないことがたくさんあると思います。
カイロを持っていきながら、「仮設は寒くて」という方が少なくなかったのも気になります・・・
はい、ブログ放置するくらいに忙しかったです(謎)
体調崩してるヒマがなあーい。
hoshizouさん
唐桑は、多少路面のデコボコや未舗装部分が残ってますが、バイクで見に行くのは問題ないです。
ワタシが活動しているのは主に中地区で、先っぽの方などは全く見ることができていません。
もし行かれるのなら、先っぽにあった小さな港がどうなっているか知りたい・・・
ただし、海のそばは、午後3時くらいから冠水するところがあるのでご注意を。
ランチは海岸亭指定です(笑)!
でも、巨釜半造入り口バス停近くの「GIGI」のピザもおいしいらしいです(^^
by しろのぽ (2011-10-17 22:08)
本当にこれからの季節。
寒さが心配です。体調を崩さずいてほしいって思わずにはいられません。
番屋。カキ小屋として使われたらいいですよね!!
by リュカ (2011-10-19 19:19)
リュカさん
寒い地域の出身ですもんね。実感があるかと思います。
ただでさえ、寒い季節はお年寄りや体の弱い方の体力が落ちてしまう・・・ましてあの仮設。
なのに、特に宮城県の対応はダラダラなのだそうです。
番屋がカキ小屋として使われたら、唐桑を訪れる人も増えるかなぁ。
ワタシにも、復活した唐桑のカキを食べに行く、という夢がひとつ増えました(^^
by しろのぽ (2011-10-19 23:05)
こんばんは~♪
わたしも今月末か来月初めに行く予定です。
出会った方々に再会するのが楽しみでつい行っちゃいますよね。
唐桑でも会いたいけど、こちらでも飲みに行きましょう(≧▽≦)
by ゆき (2011-10-22 19:01)
ゆきちゃんだ!
お久しぶりです。お互い唐桑依存症のようで(^_^;;
唐桑の人と風景に会いたくて、何度も行ってしまうんですよねぇ。
チーム唐桑飲み、のぞむところっすよ(笑)
同窓会にも行ってきまーす。
by しろのぽ (2011-10-22 20:28)
間の抜けた時期のコメントになってしまいました、、、
いろんな状況を見てしまったうえで、(ぜんぶテレビですけど)
静かな海の光景を見ると残酷さが胸に迫ってきます。
パソコンに向かいながらそんなことを思いつつ、
一方では、小さなお子さん連れでボランティアを
されている方の話を読んで、、、いったい自分は何をしているんだろう?
と自問ばかりです。
しろのぽさんのこの記事が10月の15日、
もうひと月前なんですよね、
この先の寒さは大丈夫なんでしょうか。
そんなはず、無いですよね。
by e-g-g (2011-11-14 11:23)
e-g-gさん
いつも真摯なコメント、ありがとうございます。
ワタシは震災当時(今もですが)TVがなく、津波の映像などは後追いで見たものが多かったです。
遅ればせながら夏になって現地に入って、もっと早く来ていればよかったと思いました。
それぞれの居場所があって、それぞれのタイミングでの働きかけがあると割り切るしかないのですが、心残りもあります。
それでも、忘れないでいれば、何かできるときがあるんだと思います。
気仙沼の最低気温も、そろそろ氷点下になる時期です。
寒さ対策は間に合っているんだろうか・・・とても気になります。
by しろのぽ (2011-11-14 17:54)