3月、思ういのち。 [つれづれ]
もう3月だって。
これはオニグルミの落葉痕。なんか動物の顔みたいなのが見える?
3月が始まってすぐの土曜日は、冬芽の観察会でした。
野山ではなく、あえて国立の街を、冬芽を見つけにぞろぞろと(笑)歩きます。
一年中植物を見ているワタシですが、冬芽や落葉痕を注意して見ることは、あまりなかったかも。
最近時々お邪魔している、国立本店で行われたイベント。
当日はTVの取材も入りました(例によって見てない・・・)
解説は、冬芽をテーマにした作品などを制作している、やまうちさん。
この手の観察会としては、植物の専門家やアウトドアの人ではなく、アーティストの視点で見た解説なのがユニークです。
思わず植物好き全開になるワタシ(笑)なかなかない機会なので楽しかったー。
(ここから先は長いのですが、覚え書きとして。)
年末、うちに一通の手紙が届いていました。
そこで予告された通り、3月の自殺対策強化月間を前に発表されたのが、「自殺対策白書2013」。
NPO「自殺対策支援センター ライフリンク」が5年間の歳月をかけてまとめたものです。
523人の自死遺族に詳細な聞き取り調査を行った「自殺実態1000人調査」の最終報告と、2009~2012年の4年間分の「地域の自殺の基礎資料」がその核となっています。
1000人調査なのに聞き取りは500人台?と思うかもしれません。
どんな人が、どのように死に追い込まれていったのか、亡くなった人の代わりに、遺族が語る=自死者の声。
遺された人がどんな状況にあり、どんな心境で、どんな困難を抱えているのか、遺族自身が語る=遺族の声。
ひとりの遺族が、2人分の声になるのです。
私も調査に参加しましたが、その意図を知った時、はっとしました。
「自分の中にいる、もういない人」が、「かつて生きていた、(名前)という人」として、奇妙な言い方ですが「ひとりだち」したような気がしたのです。
この調査の内容を解析し見出された数々のデータは、2月下旬から3月にかけて報道されたので、見聞きされた方もいらっしゃるかもしれません。
そして、膨大な分量の、地域別の基礎資料。
このデータからは、地域によって違う「生きづらさ」、それに応じた対策の必要性が浮かび上がってきます。
ある自治体で効果を上げた対策が、全国どこでも有効なわけではないのです。
2012年の自殺者は、15年ぶりに3万人を切りました。
が、まだまだ2万人を超える人たちが、追い込まれた末に亡くなっているということでもあります。
言いかえれば、この国は、それだけの犠牲者を出しながら回っている、ということは、忘れてはいけない現実です。
一瞬にして、たくさんの人命と、たくさんの街や村が失われたあの大地震から、今日で2年。
また唐桑に行きたかったけれど、2回目の3月11日は東京で迎えました
現地ではまた、あの時刻に、あちこちで黙祷が捧げられたことでしょう。
東京では?
その時刻、少しだけ外の空気を吸いに行き、職場に戻りました。
・・・誰も、何もかも、全く変わりなく働いていました。
自分の中のどこかが、少し疼くような気分。
ふと、去年黙祷をした、唐桑の大理石海岸の海が、一瞬目の前に広がったような気がしました。
「いつも通り」の生活が続く東京にいると、あの震災はまるで遠い日の夢だったかのようです。
(実際には、その事後処理の続く業界で働いてますが)
現地から届く便りは、復興などまだまだ遠い道のりであることを伝えてきます。
再起に向けて走る人たちがいる一方で、仮設住宅や避難先で、これからの暮らしを思い描けない人たちもいる。
失われてしまった生活の場がどうなっていくのか、まだわからない。
そして、「被災地」から遠く離れた私たちも、明らかに「その後」の時間を生きている。
震災は、まだ終わっていない。
何度も聞いた「忘れられることが怖い」という、現地の方々の言葉を、忘れまいと思う。
忘れていないよ、と伝えるためだけでも、それが自分にできることなら、また行きたい。
1週間前には硬い冬芽だったのに、ここのところの暖かさで、もうコブシが咲いた週末。
(すっげー後ピン・・・orz)
ずっと地下で息を潜めていて、一瞬の輝きを見せるクロッカス。
それがどんなに悲しく、思いだすのも忌まわしいほどの辛いできごとであろうと、忘れてはいけないことだってある。
たくさんの生命が動き出す3月は、自分にとって、あらためて「いのち」を思う季節でもあるのです。
これはオニグルミの落葉痕。なんか動物の顔みたいなのが見える?
3月が始まってすぐの土曜日は、冬芽の観察会でした。
野山ではなく、あえて国立の街を、冬芽を見つけにぞろぞろと(笑)歩きます。
一年中植物を見ているワタシですが、冬芽や落葉痕を注意して見ることは、あまりなかったかも。
最近時々お邪魔している、国立本店で行われたイベント。
当日はTVの取材も入りました(例によって見てない・・・)
解説は、冬芽をテーマにした作品などを制作している、やまうちさん。
この手の観察会としては、植物の専門家やアウトドアの人ではなく、アーティストの視点で見た解説なのがユニークです。
思わず植物好き全開になるワタシ(笑)なかなかない機会なので楽しかったー。
(ここから先は長いのですが、覚え書きとして。)
年末、うちに一通の手紙が届いていました。
そこで予告された通り、3月の自殺対策強化月間を前に発表されたのが、「自殺対策白書2013」。
NPO「自殺対策支援センター ライフリンク」が5年間の歳月をかけてまとめたものです。
523人の自死遺族に詳細な聞き取り調査を行った「自殺実態1000人調査」の最終報告と、2009~2012年の4年間分の「地域の自殺の基礎資料」がその核となっています。
1000人調査なのに聞き取りは500人台?と思うかもしれません。
どんな人が、どのように死に追い込まれていったのか、亡くなった人の代わりに、遺族が語る=自死者の声。
遺された人がどんな状況にあり、どんな心境で、どんな困難を抱えているのか、遺族自身が語る=遺族の声。
ひとりの遺族が、2人分の声になるのです。
私も調査に参加しましたが、その意図を知った時、はっとしました。
「自分の中にいる、もういない人」が、「かつて生きていた、(名前)という人」として、奇妙な言い方ですが「ひとりだち」したような気がしたのです。
この調査の内容を解析し見出された数々のデータは、2月下旬から3月にかけて報道されたので、見聞きされた方もいらっしゃるかもしれません。
そして、膨大な分量の、地域別の基礎資料。
このデータからは、地域によって違う「生きづらさ」、それに応じた対策の必要性が浮かび上がってきます。
ある自治体で効果を上げた対策が、全国どこでも有効なわけではないのです。
2012年の自殺者は、15年ぶりに3万人を切りました。
が、まだまだ2万人を超える人たちが、追い込まれた末に亡くなっているということでもあります。
言いかえれば、この国は、それだけの犠牲者を出しながら回っている、ということは、忘れてはいけない現実です。
一瞬にして、たくさんの人命と、たくさんの街や村が失われたあの大地震から、今日で2年。
また唐桑に行きたかったけれど、2回目の3月11日は東京で迎えました
現地ではまた、あの時刻に、あちこちで黙祷が捧げられたことでしょう。
東京では?
その時刻、少しだけ外の空気を吸いに行き、職場に戻りました。
・・・誰も、何もかも、全く変わりなく働いていました。
自分の中のどこかが、少し疼くような気分。
ふと、去年黙祷をした、唐桑の大理石海岸の海が、一瞬目の前に広がったような気がしました。
「いつも通り」の生活が続く東京にいると、あの震災はまるで遠い日の夢だったかのようです。
(実際には、その事後処理の続く業界で働いてますが)
現地から届く便りは、復興などまだまだ遠い道のりであることを伝えてきます。
再起に向けて走る人たちがいる一方で、仮設住宅や避難先で、これからの暮らしを思い描けない人たちもいる。
失われてしまった生活の場がどうなっていくのか、まだわからない。
そして、「被災地」から遠く離れた私たちも、明らかに「その後」の時間を生きている。
震災は、まだ終わっていない。
何度も聞いた「忘れられることが怖い」という、現地の方々の言葉を、忘れまいと思う。
忘れていないよ、と伝えるためだけでも、それが自分にできることなら、また行きたい。
1週間前には硬い冬芽だったのに、ここのところの暖かさで、もうコブシが咲いた週末。
(すっげー後ピン・・・orz)
ずっと地下で息を潜めていて、一瞬の輝きを見せるクロッカス。
それがどんなに悲しく、思いだすのも忌まわしいほどの辛いできごとであろうと、忘れてはいけないことだってある。
たくさんの生命が動き出す3月は、自分にとって、あらためて「いのち」を思う季節でもあるのです。
2013-03-12 00:55
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コメント(9)
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冬芽観察とはまた風流な企画ですね。
萌え出ずるエネルギーを蓄えた冬芽は、じっくり観察すると色々発見がありそうです。
by luces (2013-03-12 08:52)
ラマさんに見えます(^^)。
わが社では黙とうを行いました。
隣の男子が、カチカチPCをいじっていて、ちょっと悲しかったです。
by mei (2013-03-12 09:14)
冬芽は何となく想像できるのですが、落葉痕は初めて聞きました?
どんなのを言うんだろう?
落葉が無くなった痕??地面にあるのかしら?
by リュカ (2013-03-12 15:58)
芽は、よく目につくけど(笑)、
「落葉痕」はすごい着眼点だと思います!
面白そうですね、今度あれこれ木の枝確認してみます~
by nicolas (2013-03-12 23:24)
年3万人近くの方が死を選ぶ、悲しいことです。
いろんな葛藤の末でしょうが、救いの手 なかったのかな?
本人だけで解決出来なかった結果だと思いますが・・・
心の世界 神や仏の世界も もっと大事にしたいですね
by 肥前のFe (2013-03-13 07:26)
葉っぱが落ちたところに目をやるなんて
素敵だ。
う~ん、ヒヒに見えるかな?
by 響 (2013-03-14 22:33)
lucesさん
以前スノーシューツアーで冬芽の観察をしたのですが、街中でもできるものですね。
よく見ると色々な形があって面白いのです。
今は、蓄えられたエネルギーが次々と弾け出していますね。
meiさん
ワタシも、ラクダ顔だなーと思いながら見てました。
3月11日、黙祷をした職場もたくさんあったみたいですね。
たった2年しかたっていないのに、まるで何もなかったかのような今の職場が、少し悲しかったです。
リュカさん
落葉痕は、枝から葉っぱが落ちた跡のことです。
維管束の跡が、よく見ると顔に見えることがある、というか、人間の習性?として顔だと思ってしまうのですね。
このあたりを紐解いたやまうちさんのお話も、面白かったです。
nicolasさん
あ、「め」つながりで(笑)
落葉痕に注目した絵本があって、とても面白いのです。
「ふゆめがっしょうだん」で検索してみてくださいませ!
そして、観察するなら春が来る前、あとちょっとですね。
肥前のFeさん
その救いの手を届けるために、たくさんの方々(政治家も)が日々取り組んでいます。
けれど、何年も同じような人数の方が亡くなっている、ということは、すでにそのような社会構造になっているということ。
これを変えるための厳しい闘いが続いています。
宗教関係者で、それぞれの立ち位置から取り組んでいる方々もいます。
色々な要因があるので、色々なアプローチが必要なのですね。
響さん
ワタシも、冬芽は少し見ていましたが、落葉痕は全くノーマークでした。
これを作品にしているやまうちさん。やられたー!という感じです(笑)
あー、マントヒヒとか、テングザルにも見えますねえ。
そんな意見の交わしあいも面白いのです。
by しろのぽ (2013-03-16 23:36)
ウチも職場で黙祷を・・・
仕事上 間接的復興支援で、全国から東北に派遣されてるけど
とにかく忘れないのは大事ですね
冬芽の観察か~ 今ぐらいならいいですね
もっと寒いと観察どころじゃないかも?
by T2 (2013-03-20 22:57)
T2さん
おおっと見落としかけてました!
「被災地」は何も東日本大震災の、だけではなく、福岡でいえば去年の豪雨のだってあるわけで・・・
そんななかで、互いへの思いをつなぐこと、大切にしたいですね。
冬芽の観察は、動き出す直前、春先がいいですね。
寒いのキライだしー(違)
by しろのぽ (2013-03-26 22:59)