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飛べない思い [大地震、それからの日々]

2011.03.16 初めての・・・ [大地震、それからの日々]

計画停電実施中@立川市内第3グループ地域。
18時45分頃、ぽちん、と灯が消えました。
なんとか帰り着いててよかった・・・
寒いので、毛布かぶって耐えてます(笑)


2時間後復旧。
身体が冷えきってる・・・
避難所にずっといる人たちの辛さが、ちょっとだけ想像できたかも。
生きる気力が減退しても、おかしくないよな、と実感しました。


多摩モノレールの運行状況が毎日変わる。
明日ちゃんと乗れるのか?


じわじわと、疲れがたまっていく感覚。

地震。日常と非日常。 [大地震、それからの日々]

今回の地震で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
そして、亡くなった方々のご冥福をお祈りします。



備忘録として。


3月11日、東日本を襲った大地震。
その時ワタシは、都心部の職場にいました。
首都圏の交通網は、ほぼ全て不通。
ネットのニュースから流れてくる情報は、想像を絶するものでした。

出張先で足止めを食い、避難所で夜を明かすことになった仲間もいました。
仙台在住、弘前にいるはずのスタッフとは、連絡がつかないまま・・・

JRが早々に当日中の運転見合わせを決めたときには、職場で一夜を明かす覚悟でした。
結局、復旧した路線を乗り継ぎ、4時間以上かけて、深夜2時半ごろ帰宅。
地下鉄(日比谷線、東西線)がガラガラだったのにはびっくりしましたが(笑)
家の中は、小さなものが落っこちていたくらいで、被害は皆無に等しい状態でした。
それでも、本棚のガラスは外しました。

数人の友人から、安否を気遣うメールが入っていました。
滋賀でも揺れた、ときいてこちらがびっくり。
あちこちと連絡を取り、寝たのは明け方でした。

自宅の近くには、陸上自衛隊の駐屯地や広域防災基地があります。
そこを発着するヘリの音が、深夜にもずーっと聞こえ続けていました。


3月12日。
昼ごろ起きて、どうだろうかと思いながら外に出てみました。

直売所に行ってみると、野菜が少ない・・・のは、もともとそういう時期だから。
自転車から見る立川はまったくいつもどおりで、昨日の混乱がウソのよう。
おなじみのパン屋さんに行ってみると、被害もなくいつもどおり営業していました。
とはいえ、お店は大丈夫?と電話して来たお客さんや、朝帰りついてその途中で寄ったというお客さんもいたのだとか。

色んな人とブログやメールやmixiで連絡を取り、情報を交換していました。
情報が入ってくるたびに、被害の大きさが想像を上回るという事態。
立川の平穏さと、流れてくる情報のギャップに、どっちが現実なのかわからなくなるような、奇妙な感覚でした。
ヘリの音は、日付が変わるころに、いったん止まりました。


3月13日。

用事があって立川駅前まで行ってみると、驚くほどいつもどおりの光景でした。
家の近くのグラウンドでは、少年野球をやっているし・・・
けれど、空を見れば、自衛隊のものと思しきヘリが飛び交っていました。

帰って、立川のおとーちゃんに、充電の済んだVTRのバッテリーを持って来ていただきました。
エンジンをかけてもらい、大きなトラブルのないことを確認。
いったん帰っていただき、あとから自分で乗ってお店に行きました。
こんなバイクでも、動くに越したことはないしね。
心配してくれていた、とあるマイミクさんにも、やっと会えました。

帰りついた頃、複数のソネブロガーさんからの、仙台のhoshizouさんが無事だという知らせが駆け巡りました。
みんなの心のつながりに、胸が熱くなる思いでした。

多摩地区は揺れが少なく、日常生活にほとんど変わりはありません。
とはいえ、スーパーに行くと、物によっては品薄だったり、買いだめをする人がいたりします。
ガソリンスタンドには長蛇の列ができていました。



明日から、何が起きるのかわかりません。
被害に遭った人の救助も、不幸にして亡くなった人の収容、いや把握することすら、まだまだ終わっていない。
人々の生活を再建するためには、長い時間と、たくさんの人の力が必要でしょう。

被害がなく、だからといって現地にも行けない私たちにとって、それぞれの日常を送ることだって、それぞれにできることのひとつ。
冷静であること、できる範囲で協力すること、し続けること。

できることからやろう。祈るだけでなく。
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